神学大全第一部第十三問題第十項
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第十項

[二八八六七]第一部第十三問題第十項第一異論

第十のものについては次のように進められる。 「神」というこの名前は、本性による神、分有による神、 見解にもとづく神のいずれについても、 同義的に述べられていると思われる。

なぜなら、意味が異なる場合には、 肯定する者と否定する者との矛盾は存在しないからである。 すなわち、異義性は矛盾を妨げるのである。 ところが、「偶像は神ではない」と述べる正統信者は、 「偶像は神である」と述べる異教徒と対立する。 したがって、どちらの場合も、 使われている「神」は同義的に述べられている。

[二八八六八]第一部第十三問題第十項第二異論

さらに、 偶像が神であるということが見解にもとづくものであって真理にもとづくものではないのと同様に、 肉体的な快楽の享受が幸福であると言われることも、 見解にもとづくものであって真理にもとづくものではない。 ところで、「至福」というこの名前は、 見解における至福についても真の至福についても同義的に述べられている。 したがって、「神」というこの名前も、 真理にもとづく神についても見解にもとづく神についても同義的に述べられている。

[二八八六九]第一部第十三問題第十項第三異論

さらに、一つの概念がそれらに属しているものは、 同義的なものと呼ばれる。 ところで、正統信者が「神は一である」と述べるとき、その者は、 全能であり、万物を超えて崇拝されるべきものを、 「神」という名前によって知性認識しているのであるが、 異教徒が「偶像は神である」と述べるときも、その者は、 この同じものを知性認識している。 したがって、「神」というこの名前は、 どちらの場合も同義的に述べられている。

[二八八七〇]第一部第十三問題第十項第一反対異論

しかし反対に、『命題論』第一巻の中で述べられているように、 知性のうちにあるものは、事物のうちにあるものの似姿である。 ところで、「動物」は、 真の動物についてと描かれた動物についてとでは、 異義的に述べられている。 したがって、「神」というこの名前は、 真の神についてと見解にもとづく神についてとでは、 異義的に述べられている。

[二八八七一]第一部第十三問題第十項第二反対異論

さらに、いかなる者も、 認識していないものを表示することはできない。 ところで、異教徒は神的な本性を認識していない。 したがって、その者が「偶像は神である」と述べるとき、 その者は真の神性を表示していない。 それに対して、「神は一である」と述べる正統信者は、 この神性を表示している。 したがって、「神」というこの名前は、 真の神についてと見解にもとづく神についてとでは、 同義的ではなく異義的に述べられている。

[二八八七二]第一部第十三問題第十項主文

私は答えて言わなければならない。 前述された三つの表示において、「神」というこの名前は、 同義的でも意義的でもなく、アナロギア的に理解される。 これは次のことから明らかである。 すなわち、同義的なものにはまったく同じ概念が属し、 異義的なものにはまったく異なる概念が属するのであるが、 それに対して、アナロギア的なものにおいては、 一つの表示に即して理解された名前は、 他の表示に即して理解された同じ名前の定義のうちに置かれるのでなければならない。

工事中。
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