神学大全第一部第十三問題第八項
前のページ次のページ

第八項

[二八八五三]第一部第十三問題第八項第一異論

第八のものについては次のように進められる。 「神」というこの名前は、本性の名前ではないと思われる。

なぜなら、 ダマスケヌスは著書の第一巻の中で次のように述べているからである。 「『神』は『テエイン』に由来する」のであるが、これは、 走るということ、そして万象を慈しむということである。 「あるいは、『アエテイン』、 すなわち燃やすということに由来する(なぜなら、神は、 いかなる悪徳をも消滅させる我々の火であるからである)。 あるいは、『テアスタイ』に由来する」のであるが、 これは、すべての事物を考察するということである。 ところで、これらのすべての名前は、働きに属している。 したがって、「神」というこの名前は、 働きを表示しているのであって、本性を表示しているのではない。

[二八八五四]第一部第十三問題第八項第二異論

さらに、事物は、それが認識される限りにおいて、 それに応じて我々によって命名される。 ところで、神的な本性は、我々には知られていない。 したがって、「神」というこの名前は、 神的な本性を表示していない。

[二八八五五]第一部第十三問題第八項反対異論

しかし反対に、 アンブロシウスは『信仰について』第一巻の中で、 「神」は本性の名前であると述べている。

[二八八五六]第一部第十三問題第八項主文

私は答えて言わなければならない。 ものを表示するためにそれにもとづいて名前が付与されるところのものと、 それを表示するために名前が付与されるところのものは、 必ずしも常に同じであるとは限らない。 なぜなら、我々は、 事物の実体をそれの特性または働きにもとづいて認識するのであるが、 それと同様に、我々は時として、事物の実体に対して、 それの何らかの働きまたは特性から命名することがあるからである。 たとえば、我々は、石の実体に対して、 それの何らかの作用から命名する。 すなわち、それは足を傷つけるものである。 しかし、この名前が付与されているのは、 この作用を表示するためではなく、石の実体を表示するためである。 それに対して、たとえば、暑さ、冷たさ、白さ、等々のように、 もしも、ものがそれ自体として我々に知られているのであるならば、 それらは他のものから命名されるのではない。 したがって、この種のものにおいては、名前が表示しているものと、 ものを表示するために名前がそれから付与されているところのものは、 同じである。

したがって、すでに述べられたように、神は、 彼の本性において我々に知られているのではなく、 彼の働きまたは結果にもとづいて我々に知られるに到るのであるから、 我々は、 これらのことにもとづいて彼に命名することができるのである。 したがって、「神」というこの名前は、 表示するためにそれにもとづいて付与されたところのものに関する限り、 働きの名前である。 なぜなら、この名前は、 諸事物の普遍的な摂理にもとづいて付与されているのであるからである。 すなわち、神について語るすべての人々は、 諸事物についての普遍的な摂理を持つものを「神」と命名することを意図しているのである。 ディオニュシオスが『神名論』第十二章で、 「神性とは、 摂理と完全な善性によって万物を見るもののことである」と述べているのは、 このような理由によるものである。 しかし、この働きにもとづいて採用された「神」というこの名前は、 神的な本性を表示するために付与されたものである。

[二八八五七]第一部第十三問題第八項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 ダマスケヌスが主張したすべてのことは、摂理に属しており、 「神」というこの名前は、 その摂理にもとづいて彼を表示するために付与されたものである。

[二八八五八]第一部第十三問題第八項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 我々は、何らかの事物の本性を、 それの特性と結果にもとづいて認識することができる限りにおいて、 その本性を名前によって表示することができる。 したがって、我々は石の実体を、 石とは何であるかということを知ることによって、 それの特性にもとづいて、 それ自体に即して認識することができるのであるから、 「石」というこの名前は、石の本性それ自体を、 それ自体においてあるがままに表示している。 なぜなら、その名前は、 石とは何であるかということをそれを通じて我々が知るところの定義を表示しているのであるからである。 なぜなら、『形而上学』第四巻の中で述べられているように、 名前が表示している概念は定義であるからである。 しかし、神的な本性を、神的な結果にもとづいて、 それ自体においてあるがままに認識することは、我々にはできない。 すなわち、それについて、 それが何であるかということを我々は知らない。 すでに述べられたように、我々は、 卓越性と原因性と否定の様態によってそれを認識するのである。 したがって、「神」というこの名前は、神的な本性を表示している。 なぜなら、この名前は、万物の根源であり、 万物から遠く隔たっている、 万物を超えて存在する何かを表示するために付与されたものであるからである。 すなわち、神に命名する人々は、 これを表示することを意図しているのである。

神学大全第一部第十三問題第八項
前のページ次のページ