神学大全第一部第十三問題第四項
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第四項

[二八八一三]第一部第十三問題第四項第一異論

第四のものについては次のように進められる。 神について述べられるそれらの名前は、 同義的な名前であると思われる。

なぜなら、まったく同じものを表示する名前が、 同義語と呼ばれるからである。 ところで、神について述べられるそれらの名前は、 神におけるまったく同じものを表示する。 なぜなら、神の善性は彼の本質であり、 知恵もまた同様であるからである。 したがって、それらの名前は完全に同義語である。

[二八八一四]第一部第十三問題第四項第二異論

もしも、それらの名前は、 事物においては同じものを表示するが、 概念においては異なるものを表示する、と述べられるならば、 事物におけるいかなるものもそれに対応しないところの概念は空虚であるという反論が成り立つ。 したがって、もしもそれらの概念が多数であり、 事物が一つであるならば、それらの概念は空虚である、 ということになると思われる。

[二八八一五]第一部第十三問題第四項第三異論

さらに、事物においても概念においても一であるものは、 事物においては一であるが概念においては多様であるものよりも、 より程度の高い一である。 ところで、神は最高度に一である。 したがって、彼が、 事物においては一であるが概念においては多様である、 ということはないと思われる。 したがって、神について述べられる名前は、 多様な概念を表示するものではなく、したがって、 それらは同義語である。

[二八八一六]第一部第十三問題第四項反対異論

しかし反対に、すべての同義語は、 それらが相互に結合された場合、無意味に陥る。 たとえば、「衣服着物」と言われる場合がそうである。 したがって、 もしも神について述べられるすべての名前が同義語であるならば、 「善なる神」あるいはこれに類することは、 適切には述べられることができない。 しかし、『エレミヤ書』第三十二章には、「最強であり、 偉大であり、力のある者よ、 あなたの名前は万軍の主です」と書かれている。

[二八八一七]第一部第十三問題第四項主文

私は答えて言わなければならない。 神について述べられるこの種の名前は同義語ではない。 このことは、もしも、この種の名前は、排除のために、 あるいは原因が被造物に対して持つ関係を明示するために導入されたものである、 と我々が言ったとしても、理解することは容易だったであろう。 なぜなら、その場合には、 否定されていることがさまざまであることに応じて、 あるいは暗示されている結果がさまざまであることに応じて、 それらの名前の概念もまたさまざまであるということになるであろうからである。

しかし、この種の名前は、 たとえそれが不完全な方法によってであるとしても、 神的な実体を表示している、 というすでに述べられたことにもとづいても、 それらの名前がさまざまな概念を持つということは、 これまでに述べられたことによって、やはりまったく明らかである。 なぜなら、名前が表示する概念は、 その名前によって表示される事物について知性認識された観念であるからである。 ところで、 我々の知性は被造物にもとづいて神を認識するのであるから、 それは、神を知性認識するために、 神から被造物へ発出する完全性に比例した観念を形成する。 それらの完全性は、神においては統一的かつ単純に先在しているが、 それに対して、被造物においては、 断片的かつ多様に受容されている。 したがって、被造物のさまざまな完全性には、 被造物のさまざまな完全性によって多彩かつ多様に表現される一つの単純な根源が対応しており、 それと同様に、我々の知性の多彩かつ多様な観念にも、 不完全に知性認識されたこの種の観念に応じて、 いかなる意味においても単純である一つのものが対応している。

したがって、神に帰属させられる名前は、 たとえそれらが一つの事物を表示するものであるとしても、 それにもかかわらず、 多数でかつさまざまな概念のもとにその事物を表示するのであるから、 それらは同義語ではない。

[二八八一八]第一部第十三問題第四項第一異論解答

したがって、 第一のものについての解答は明らかである。なぜなら、 一つの概念にもとづいて一つのものを表示する名前が、 同義語と呼ばれるのであるからである。 そもそも、一つの事物のさまざまな概念を表示する名前は、 第一義的に、そしてそれ自体によって、 一つのものを表示しているわけではない。 なぜなら、すでに述べられたように、名前は、 知性の観念を媒介とするのではないならば、 事物を表示しないからである。

[二八八一九]第一部第十三問題第四項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 これらの名前の多数の概念は、無益でも空虚でもない。 なぜなら、これらのすべての概念には、 すべてのこの種の名前によって多様かつ不完全に表現された、 単純である一つのものが対応しているからである。

[二八八二〇]第一部第十三問題第四項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 神の完全な単一性には、 彼以外のものにおいては多様かつ断片的に存在するものが、 彼においては単純かつ統一的に存在するという、 まさにこのことが属している。 彼は事物においては一であり、概念においては多数である、 ということが生じるのは、 諸事物が彼を多様に表現しているのと同様に、 我々の知性もまた彼を多様に把握している、 ということにもとづくものである。

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