神学大全第一部第十三問題第三項
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第三項

[二八八〇五]第一部第十三問題第三項第一異論

第三のものについては次のように進められる。 いかなる名前も、 神について固有の意味において述べられるものではないと思われる。

なぜなら、すでに述べられたように、 神について我々が述べるすべての名前は、 被造物から取られたものであるからである。 ところで、被造物の名前は、神について比喩的に述べられる。 たとえば、「神は岩である」、あるいは「獅子である」、 あるいはそれに類する何かである、と述べられる場合がそうである。 したがって、神について述べられるすべての名前は、 比喩的に述べられる。

[二八八〇六]第一部第十三問題第三項第二異論

さらに、いかなる名前も、 その名前がそれについて述語とされているというよりも、 それから排除されているというほうがより真であるところの何かについては、 固有の意味において述べられることはない。 ところで、 ディオニュシオスによって『天上位階論』第二章で述べられたことから明らかであるように、 「善」や「知恵」等々のこの種の名前は、 神について述語とされているというよりも、 彼から排除されているというほうがより真である。 したがって、これらの名前のうちのいかなるものも、 神について固有の意味において述べられるものではない。

[二八八〇七]第一部第十三問題第三項第三異論

さらに、神は非物体的であるから、 比喩的に述べられるもの以外に、 物体の名前が神について述べられることはない。 ところで、すべてのこの種の名前は、 何らかの物体的な条件を含意している。 なぜなら、それらの名前は、時間や、複合や、 それに類する他のものを伴って表示するが、 それらは物体的な条件であるからである。 したがって、すべてのこの種の名前は、 神について比喩的に述べられるものである。

[二八八〇八]第一部第十三問題第三項反対異論

しかし反対に、 アンブロシウスは『信仰について』第二巻において次のように述べている。 「神性の固有性を明確に示す名前もあれば、 神的な尊厳の明白な真理を表現する名前もある。 それに対して、 類似性を通じて神について転義的に述べられるその他の名前もある」と。 したがって、 すべての名前が神について比喩的に述べられるものであるというわけではなく、 ある種の名前は固有の意味において述べられるものである。

[二八八〇九]第一部第十三問題第三項主文

私は答えて言わなければならない。 すでに述べられたように、我々は神を、 彼から被造物へ発出する完全性にもとづいて認識するのであるが、 無論、それらの完全性は、被造物のうちにあるものよりも、 より卓越した様態において神のうちに存在する。 ところで、我々の知性はそれらの完全性を、 それらが被造物のうちに存在する限りにおける方法によって把握し、 知性が把握するものに応じて、それらを名前によって表示する。 したがって、我々が神に帰属させる名前においては、 二つのことがらについての考察が存在する。 すなわち、善性や生命等々のような、 表示されている完全性それ自体と、そして表示の様態である。 したがって、この種の名前が表示するものに関しては、 これらの名前は、固有の意味において神に適合するものであり、 被造物それ自体に適合する名前よりも、より固有の意味において、 そしてより先の意味において、彼について述べられるものである。 それに対して、表示の様態に関しては、 これらの名前は神について固有の意味において述べられるものではない。 なぜなら、それらは被造物に適合する表示の様態を持つからである。

[二八八一〇]第一部第十三問題第三項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 ある種の名前は、 神から被造的な諸事物へ発出するという種類の完全性を表示するが、 それは、 それにおいて神的な完全性が被造物によって分有されているところの不完全な様態それ自体が、 名前によって表示されているものそれ自体のうちに包含されている、 という方法によってである。 たとえば、「岩」は、質料的に存在する何かを表示している。 そして、この種の名前は、比喩的である場合を除いて、 神に帰属させられることはできない。 それに対して、ある種の名前は、 分有の何らかの様態がそれらの名前の表示のうちに包含されるということなしに、 絶対的な意味で完全性それ自体を表示する。 たとえば、 「存在者」や「善」や「生きているもの」等々がそれである。 そして、この種の名前は、 神について固有の意味において述べられるものである。

[二八八一一]第一部第十三問題第三項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 この種の名前は神について否定されるものであるとディオニュシオスが述べている理由は、 名前によって表示されるものは、 それによって名前が表示するところの様態においてではなく、 より卓越した様態において彼に適合するからである。 ディオニュシオスが同じ箇所で、神は、いかなる実体をも、 いかなる生命をも超えたものである、と述べているのは、 このような理由によるものである。

[二八八一二]第一部第十三問題第三項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 神について固有の意味において述べられるそれらの名前が物体的な条件を含意するのは、 名前によって表示されるものそれ自体においてではなく、 表示の様態に関してである。 それに対して、 神について比喩的に述べられる名前が物体的な条件を含意するのは、 それによって表示されるものそれ自体においてである。

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