神学大全第一部第十三問題第一項
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第一項

[二八七八九]第一部第十三問題第一項第一異論

第一のものについては次のように進められる。 神にはいかなる名前も適合しないと思われる。

なぜなら、ディオニュシオスは『神名論』第一章で、 彼については名前もなければ見解もないと述べているからである。 また、『箴言』第三十章でも、「もしもあなたが知っているならば、 彼の名前は何で、彼の子の名前は何か」と述べられている。

[二八七九〇]第一部第十三問題第一項第二異論

さらに、いかなる名前も、 抽象的に述べられるか具体的に述べられるのかのいずれかである。 ところで、神は単純であるから、 具体的に表示する名前は彼には適合しない。 また、抽象的に表示する名前も彼には適合しない。 なぜなら、そのような名前は、 自存している完全な何かを表示しないからである。 したがって、いかなる名前も、 神について述べられることはできない。

[二八七九一]第一部第十三問題第一項第三異論

さらに、名詞は性質を伴って実体を表示する。 それに対して、動詞と分詞は時間を伴って実体を表示する。 それに対して、代名詞は指示または関係を伴って実体を表示する。 それらのうちのいずれも、神には適合しない。 なぜなら、彼は、性質を持たず、いかなる付帯性も持たず、 そして時間も持たずに存在するからである。 また、彼は、指示されることができるという意味では、 知覚されることができないからである。 また、彼は関係的に表示されることができないからである。 なぜなら、関係代名詞というのは、名詞、分詞、 あるいは指示代名詞によって先に述べられた何かを想起させるもののことであるからである。 したがって、神は、 いかなる方法でも我々によって名づけられることができない。

[二八七九二]第一部第十三問題第一項反対異論

しかし反対に、『出エジプト記』第十五章で、 「主は戦士のようであり、 全能は彼の名前である」と述べられている。

[二八七九三]第一部第十三問題第一項主文

私は答えて言わなければならない。 哲学者によれば、言葉は知性概念の記号であり、 知性概念は事物の類似性である。 このように、言葉は、知性の概念形成を媒介として、 表示する事物に関係づけられる。 したがって、 何かが我々によって知性的に認識されることができる限りにおいて、 それは我々によって名づけられることができる。

ところで、神は、 彼の本質によってこの世の生において我々に見られるということはできないが、 根源という関係において、卓越性と除去の方法によって、 被造物にもとづいて我々に認識される、 ということがすでに示されている。 したがって、この意味において、 彼は被造物にもとづいて我々によって名づけられることができる。 「人間」というこの名前は、 その表示作用によって人間の本質をあるがままに表現しているが、 しかし、彼を表示する名前は、 それと同様に神の本質をあるがままに表現しているわけではない。 なぜなら、名前が表示する概念は定義であるから、 「人間」という名前は、 それの本質を明らかにするそれの定義を表示しているのであるからである。

[二八七九四]第一部第十三問題第一項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 神は名前を持たない、 あるいは命名を超えて存在すると言われるのは、彼の本質が、 我々が神について知性認識し、 言葉によって表示するものを超えたものである、 という理由によるものである。

[二八七九五]第一部第十三問題第一項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 我々は、被造物にもとづいて神の認識に到達し、 被造物にもとづいて彼に名づけるのであるから、 我々が神に帰属させる名前は、すでに述べられたように、 それの認識が我々にとって本性に適っているところの質料的な被造物に適合する方法によって意味を表示する。

また、この種の被造物においては、 完全であり自存しているものは複合されたものであるが、 それに対して、それらにおける形相は、 自存している完全な何かではなく、むしろ、 それによって何かがそれであるところのものなのであるから、 自存している完全な何かを表示するために我々によって付与されるすべての名前は、 複合されたものに適合するものとして、 その何かを具体的に表示するが、それに対して、 単純な形相を表示するために付与される名前は、 自存しているものとしてではなく、 それによって何かがそれであるところのものとして、 何かを表示する。 たとえば、「白さ」は、 それによって何かが白いところのものを表示しているのである。

したがって、 神は単純であってかつ自存しているのであるから、我々は、 彼の単純性を表示するために抽象的な名前を彼に帰属させ、 彼の自存性と完全性を表示するために具体的な名前を彼に帰属させる。 このことは、 たとえ両方の名前が彼自身の様態に対して不足があるとしてもそうなのであり、 これは、 我々の知性がこの世の生においては彼をあるがままには認識しないということと同様のことである。

[二八七九六]第一部第十三問題第一項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 性質を伴って実体を表示するというのは、 個体がそれにおいて自存するところの限定された本性または形相を伴って個体を表示するということである。 したがって、すでに述べられたように、 神について何かが具体的に述べられるのが彼の自存性と完全性を表示するためであるのと同様に、 性質を伴って実体を表示する名詞が神について述べられるのも、 そのためである。

それに対して、 時間を表示する動詞と分詞が彼について述べられるのは、 永遠性はいかなる時間をも包含しているということによるものである。 なぜなら、我々は、複合されたものの様態によってではないならば、 単純な自存性を把握することも表示することもできないが、 それと同様に、我々は、 時間的な事物の様態によってではないならば、 単純な永遠性を知性認識することも言葉によって表現することもできないからである。 これは、 複合的で時間的な事物に対して我々の知性が持つ親和性を理由とするものである。

それに対して、指示代名詞が神について述べられるのは、 それらが、知覚されるものに対する指示ではなく、 知性認識されるものに対する指示をする限りにおいてである。 なぜなら、彼が我々によって知性認識されることに応じて、 その限りにおいて、彼は指示のもとに到来するのであるからである。 したがって、 名詞と分詞と指示代名詞が神について述べられる様態に応じて、 その限りにおいて、 彼は関係代名詞によっても表示されることができる。

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