神学大全第一部第九問題第二項
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第二項

[二八五八〇]第一部第九問題第二項第一異論

第二のものについては次のように進められる。 不変であるということは、神に固有のことではないと思われる。

なぜなら、哲学者は『形而上学』第二巻の中で、 運動するいかなるものの中にも質料が存在すると述べているからである。 ところで、ある人々によって考えられているように、 たとえば天使や霊魂のような、ある種の被造的な実体は、 質料を持たない。 したがって、不変であるということは、神に固有のことではない。

[二八五八一]第一部第九問題第二項第二異論

さらに、運動するいかなるものも、 何らかの目的のために運動している。 したがって、すでに究極的な目的に到達しているものは、 運動しない。 ところで、ある種の被造物、たとえばすべての至福の者たちは、 すでに究極的な目的に到達している。 したがって、何らかの被造物は不動である。

[二八五八二]第一部第九問題第二項第三異論

さらに、可変的であるいかなるものも、変動的である。 ところで、形相は非変動的である。 なぜなら、『六つの根源』の中で、「形相は、 単純で非変動的な本質から成り立っている」と述べられているからである。 したがって、不変であるということは、 神のみに固有のことではない。

[二八五八三]第一部第九問題第二項反対異論

しかし反対に、アウグスティヌスは、 『善の本性について』の中で次のように述べている。 「不変であるものは神のみである。 それに対して、彼が造ったものは、無から生じるものであるから、 可変的である」と。

[二八五八四]第一部第九問題第二項主文

私は答えて言わなければならない。 あらゆる意味において不変であるものは神のみである。 それに対して、いかなる被造物も、何らかの意味で可変的である。

そもそも、 何かが可変的であるということは二通りの意味で語られる、 ということが知られなければならない。 一つの意味は、自身の中に存在する能力によるものであり、 もう一つの意味は、他者の中に存在する能力によるものである。 すなわち、いかなる被造物も永遠ではないのであるから、 すべての被造物が、 それらが存在するよりも前に存在することが可能になったのは、 創造された何らかの能力によってではなく、 神がそれらを存在の中へ生み出すことができた限りにおいて、 神的な能力のみによってである。 ところで、 存在の中へ事物を生み出すことが神の意志に依存するのと同様に、 存在の中に事物を保持することも、彼の意志に依存する。 なぜなら、彼が存在の中にそれらを保持するのは、 常にそれらに存在を与えるという方法以外の方法によってではないからである。 したがって、 アウグスティヌスが『創世記逐語解』第四巻で述べていることから明らかであるように、 もしも神が自身の働きをそれらの事物から除去するならば、 万物は無に帰すであろう。 したがって、事物がそれら自身において存在するよりも前に、 それらを存在させることが創造者の能力のうちに存在したのと同様に、 それらがそれら自身において存在するに至ったのちに、 それらが存在しないようにすることも、 創造者の能力のうちに存在する。 したがって、それらの事物は、 彼によって無から存在へ生み出されることができ、 存在から非存在へ引き戻されることができる限りにおいて、 他者の中に、 すなわち神の中に存在する能力によって可変的である。

それに対して、 何かがそれ自身の中に実在する能力によって可変的であると言われる場合の意味でも、 いかなる被造物も何らかの意味で可変的である。 なぜなら、被造物の中には二通りの能力が存在するからである。 すなわち、能動的な能力と受動的な能力である。 ところで、私は、それによって何かが、存在することにおいて、 あるいは目的に到達することにおいて、 自身の完全性を獲得することができる能力を、 「受動的な能力」と呼んでいる。 したがって、もしも事物の可変性が、 存在についての能力に限定されたものとみなされるならば、 可変性は、すべての被造物の中に存在するわけではなく、 それらの中にある可能的であるものが非存在と両立することができる被造物の中にのみ存在する。 したがって、下位の物体においては、 可変性は実体的存在に関しても存在する。 なぜなら、それらの物体の質料は、 それらの実体的形相の欠如とともに存在することができるからである。 また、もしも基体が付帯性の欠如と共存するならば、 可変性は付帯的存在に関しても存在する。 たとえば、人間という基体は、 白くないということと共存することができ、したがって、 白いものから白くないものへ変化することができる。 それに対して、もしもその種類の付帯性が、 基体の本質的な根源を伴うものであるならば、 そのような付帯性の欠如は、基体と両立することができない。 したがって、基体は、 そのような付帯性に関しては変化することができない。 たとえば、雪は、黒くなることができない。

それに対して、天体においては、 質料は形相の欠如とは共存しない。 なぜなら、形相が、 質料の可能態性の全体を完成させているからである。 したがって、天体は、実体的存在に関しては可変的ではない。 しかし、場所的存在に関しては可変的である。 なぜなら、基体が、 この場所あるいはあの場所の欠如とは共存しているからである。

それに対して、非物体的な実体は、 自存する形相そのものであるが、しかし、その形相は、 その存在については、現実態に対する可能態という関係にあるから、 この現実態の欠如とは共存しない。 なぜなら、存在は形相と共存するのであり、いかなるものも、 形相を失うことによってでなければ消滅しないからである。 したがって、形相そのものの中には、 非存在に対する可能性は存在しない。 したがって、この種の実体は、 存在に関しては不変であり非変動的である。 ディオニュシオスが『神名論』第四章で、 「創造された知性的な実体は、非物体的で非質料的な実体として、 生成からも、いかなる変動からも純粋である」と述べているのも、 このことである。 しかし、そのような実体の中にも、二通りの可変性が残っている。 一つは、目的に対して可能態にある限りにおける可変性である。 ダマスケヌスが述べているように、この意味では、 善から悪への選択に関する可変性が、 そのような実体の中に存在する。 もう一つは、そのような実体が、その有限の力によって、 それ以前には到達していなかった何らかの場所に到達することができる限りにおける、 場所に関する可変性である。 このことは、すでに述べられたように、 その無限性によってすべての場所を満たしている神については、 語られることができない。

したがって、変化に対する可能性は、 すべての被造物の中に存在する。 その可変性は、 可滅的な物体の場合には実体的存在に関するものであり、 天体の場合には場所的存在のみに関するものであり、 天使の場合には、目的に向けての秩序、 そしてさまざまなものに対する力の適用に関するものである。 そして、普遍的には、すべての被造物は、 それらの存在と非存在が彼の権能のうちにある創造者の能力によって、 共通して可変的である。 したがって、神は、 これらの意味のいずれにおいても可変的ではないのであるから、 あらゆる意味において不変であるということは、 彼に固有のことである。

[二八五八五]第一部第九問題第二項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 この異論は、 実体的存在または付帯的存在に関して可変的であるものについては妥当である。 なぜなら、哲学者たちが考察したのは、 そのような種類の運動についてであったからである。

[二八五八六]第一部第九問題第二項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 善なる天使たちは、本性的に彼らに適合する存在の不変性に加えて、 神的な力による選択の不変性を持つ。 しかし、彼らの中には、場所に関する可変性が残っている。

[二八五八七]第一部第九問題第二項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 形相が非変動的であると言われるのは、 それらが変動の基体であることができないからである。 しかし、基体が形相に応じて変動する限りにおいて、 形相は変動に服属している。 したがって、形相は、それらが存在する限りにおいて、 変動するということは明らかである。 形相が存在者であると言われるのは、 それらが存在の基体であるというような理由によってではなく、 それらによって何かが存在するからである。

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