神学大全第一部第八問題第三項
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第三項

[二八五四七]第一部第八問題第三項第一異論

第三のものについては次のように進められる。 神は本質と能力と現前によって万物の中に存在する、 と言われる場合、 事物の中に神が存在する様態が間違って措定されていると思われる。

なぜなら、何かの中に本質によって存在するものは、 その何かの中に本質的に存在するからである。 ところで、神は、事物の中に本質的に存在するわけではない。 なぜなら、彼は、いかなる事物の本質にも属していないからである。 したがって、神は本質と現前と能力によって事物の中に存在する、 と言われるべきではない。

[二八五四八]第一部第八問題第三項第二異論

さらに、何らかの事物に現前するということは、すなわち、 その事物にとって不在ではないということである。 ところで、神が本質によって事物の中に存在するということは、 すなわち、 いかなる事物にとっても彼が不在ではないということである。 したがって、神が本質によって万物の中に存在するということと、 彼が現前によって万物の中に存在するということは、 同じことである。 したがって、神は本質と現前と能力によって事物の中に存在する、 と述べることは蛇足であった。

[二八五四九]第一部第八問題第三項第三異論

さらに、神が自身の能力によって万物の根源であるのと同様に、 彼は、知と意思によっても万物の根源である。 ところで、神は知と意志によって事物の中に存在する、 とは言われない。 したがって、彼は能力によって事物の中に存在する、 と言われることもない。

[二八五五〇]第一部第八問題第三項第四異論

さらに、 恩寵が事物の実体に付加された何らかの完全性であるように、 付加された完全性にはほかにも多くのものが存在する。 したがって、もしも、 神は何らかのものの中に恩寵によって特殊な様態で存在する と言われるならば、 いかなる完全性についても、 事物の中に神が存在する特殊な様態が容認されなければならない と思われる。

[二八五五一]第一部第八問題第三項反対異論

しかし反対に、 グレゴリウスは『雅歌注解』の中で次のように述べている。 「神は、一般的な方法では、 現前と能力と実体によって万物の中に存在する。 しかし、親密な方法では、 恩寵によって何らかのものの中に存在すると言われる」

[二八五五二]第一部第八問題第三項主文

私は答えて言わなければならない。 神が何らかの事物の中に存在するということは、 二通りの意味で語られる。 一つの意味は、作用因という様態によるものであり、この意味では、 彼は、彼によって創造されたすべての事物の中に存在する。 もう一つの意味は、 働きの対象が働く者の中に存在するという様態によるものである。 認識されるものが認識する者の中に存在し、 熱望されるものが熱望する者の中に存在する、 ということに示されるとおり、この様態は、 魂の働きに固有のものである。 そして、この第二の意味において、神は、 彼を現実的または所有態的に認識し、 そして愛している理性的な被造物の中に、特殊な様態で存在する。 そして、のちに明らかにされるであろうように、 理性的な被造物がこの状態を持つのは恩寵によってであるから、 彼は、 聖人たちの中に恩寵によってこの様態で存在すると言われる。

ところで、 彼によって創造された他の事物の中に彼がどのように存在するか、 ということは、 人間的な事物の中に存在すると言われるものにもとづいて 考察されなければならない。 たとえば、王は、たとえ彼が到る所に現前していなくとも、 彼の能力によって彼の王国の全体に存在すると言われる。 また、ある者は、その者の視界の中に存在するすべてのものの中に、 その者の現前によって存在すると言われる。 たとえば、ある家の中に存在するすべてのものは、 ある者に現前していると言われる。 しかし、その者は、 その者の実体として家のどの部分にも存在している というわけではない。 さらに、あるものは、自身の実体が置かれている場所に、 実体または本質によって存在すると言われる。

ところで、霊的で非物体的なものは神の権能に服従しているが、 可視的で物体的なものは、 対立する根源の権能に服従していると述べた、ある人々、 すなわちマニ教徒たちがいた。 そこで、これらの人々に反対して、 神は彼の能力によって万物の中に存在すると言わなければならない。

また、 万物が神の能力に服従しているということは信じるとしても、 この世の下位の物体にまでは神の摂理を及ぼさなかった 別の人々がいた。 「彼は天の両極を巡り歩き、 我々のことは顧みない」 と『ヨブ記』第二十二章で述べられているのは、 この人々の意見を代弁しているのである。 そこで、この人々に反駁するため、 彼は彼の現前によって万物の中に存在する と言わなければならなかった。

また、万物は神の摂理に属しているとは述べたものの、 万物が直接的に神によって創造されたというわけではなく、 彼は直接的には第一の被造物を創造し、 それらが他のものを創造したのである、と主張した別の人々がいた。 そこで、この人々に反駁するため、 彼は本質によって万物の中に存在すると言わなければならない。

したがって、彼は、 万物が彼の権能に服従している限りにおいて、 能力によって万物の中に存在する。 彼は、万物が彼の眼前で裸であり開かれている限りにおいて、 現前によって万物の中に存在する。 彼は、すでに述べられたように、 万物にとって存在の原因として存在する限りにおいて、 本質によって万物の中に存在する。

[二八五五三]第一部第八問題第三項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 神は本質によって事物の中に存在すると言われるが、それは、 彼があたかも事物の本質に属しているかのように、 事物の本質によってそうであるということではなく、 彼自身の本質によってそうであるということである。 なぜなら、すでに述べられたように、彼の実体は、 万物にとって存在の原因として存在するからである。

[二八五五四]第一部第八問題第三項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 すでに述べられたように、 何かが何者かに現前していると言われることができるのは、 それが実体としてはその者から隔たっているとしても、 それがその者の視界のもとにある限りにおいてである。 二つの様態、 すなわち本質によるものと現前によるものを 措定しなければならなかったのは、 このような理由によるものである。

[二八五五五]第一部第八問題第三項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 知と意志の性質には、知られるものが知る者の中に存在し、 意志されるものが意志する者の中に存在する、 ということが属している。 したがって、知と意志に関しては、 神が事物の中に存在するというよりもむしろ、 事物が神の中に存在する。 それに対して、能力の性質には、 他のものに対して作用する根源であるということが属している。 したがって、能力に関しては、作用者は外部の事物に関係づけられ、 結びつけられる。 作用者は能力によって他のものの中に存在する と言われることができるのは、 このような理由によるものである。

[二八五五六]第一部第八問題第三項第四異論解答

第四のものについては次のように言わなければならない。 恩寵を除いては、実体に付加される他のいかなる完全性も、 認識され愛される対象として何かの中に神を存在させることはない。 したがって、恩寵のみが、 事物の中に神が存在する特殊な様態を生じさせる。 ただし、神が人間の中に存在する、 結合による別の特殊な様態がある。 この様態については、それについての場所で論じられるであろう。

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