神学大全第一部第八問題第二項
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第二項

[二八五三九]第一部第八問題第二項第一異論

第二のものについては次のように進められる。 神は到る所に存在するわけではないと思われる。

なぜなら、到る所に存在するということは、 いかなる場所においても存在するということを 意味しているからである。 ところが、いかなる場所においても存在するということは、 神には適合しない。 そもそも、場所において存在するということは、彼には適合しない。 なぜなら、 ボエティウスが『デ・ヘブドマディブス』の中で述べているように、 非物体的なものは場所においては存在しないからである。 したがって、神は到る所に存在するわけではない。

[二八五四〇]第一部第八問題第二項第二異論

さらに、継起するものに対して時間が持つ関係は、 恒存するものに対して場所が持つ関係と同じである。 ところで、 作用または運動の分割不可能な単位が異なる時間において存在する、 ということはできない。 したがって、恒存する事物の類に属する分割不可能な単位も、 すべての場所において存在するということはできない。 ところで、神的であるということは、継起的ではなく恒存的である。 したがって、神が複数の場所において存在するということはない。 したがって、彼は到る所に存在するわけではない。

[二八五四一]第一部第八問題第二項第三異論

さらに、ある場所に全体が存在するものは、その場所の外には、 それのいかなる部分も存在しない。 ところで、神は、もしも彼が何らかの場所に存在するならば、 全体がそこに存在する。 なぜなら、彼は部分を持たないからである。 したがって、その場所の外には、彼のいかなる部分も存在しない。 したがって、神は到る所に存在するわけではない。

[二八五四二]第一部第八問題第二項反対異論

しかし反対に、『エレミア書』第二十三章では、 「私は天と地を満たしている」と述べられている。

[二八五四三]第一部第八問題第二項主文

私は答えて言わなければならない。 場所は何らかの事物であるから、 何かが場所において存在するということは、 二通りの意味に解されることができる。 一つは、他の事物の様態による意味である。 すなわち、いかなる様態であろうと、 何かが他の事物において存在すると言われる場合の意味である。 場所の付帯性が「場所において存在する」と言われるのは、 この意味である。 もう一つは、場所に固有の様態による意味である。 位置を占めているものが「場所において存在する」と言われるのは、 この意味である。 ところで、これらの様態のいずれにおいても、何らかの意味で、 神はいかなる場所においても存在している。 すなわち、到る所に存在している。

まず第一に、彼は、 すべての事物に存在と力と働きを与える者として、 すべての事物の中に存在する。 その意味で、彼は、存在と場所的な力を場所に与える者として、 いかなる場所にも存在する。

さらに、位置を占めているものは、 それらが場所を満たしている限りにおいて、場所において存在する。 そして神は、いかなる場所をも満たしている。 しかし彼は、物体のような方法で場所を満たすのではない。 なぜなら、物体が「場所を満たす」と言われるのは、 自身とともに他の物体が共存しない限りにおいてだからである。 それに対して、何らかの場所に神が存在することによって、 他のものがそこに存在することが排除されるということはない。 それどころか、すべての場所を満たしている、 位置を占めているもののすべてに対して存在を与えることによって、 彼はすべての場所を満たしているのである。

[二八五四四]第一部第八問題第二項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 非物体的なものが場所において存在するのは、 物体のように次元的な量の接触によってではなく、 力の接触によってである。

[二八五四五]第一部第八問題第二項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 分割不可能なものには二つの種類がある。

一つは、連続的なものの終端である。 たとえば、恒存するものにおける点や、 継起するものにおける瞬間がそれである。 そして、恒存するものにおけるこの種の分割不可能なものは、 限定された位置を持つので、場所の多数の部分に存在することも、 多数の場所に存在することもできない。 そして同様に、作用または運動における分割不可能なものも、 運動または作用のうちに限定された順序を持つので、 時間の多数の部分に存在することはできない。

それに対して、もう一つの種類の分割不可能なものは、 連続体の完全な領域の外にある。 たとえば神や天使や魂のような 非物体的な実体が分割不可能なものであると言われるのは、 この意味においてである。 したがって、 この種類の分割不可能なものが連続体に関係づけられるのは、 連続体に属する何かとしてではなく、 その力によって連続体に触れている限りにおいてである。 したがって、その力が、一つのものまたは多くのもの、 小さなものまたは大きなものに 及ぶことができるということに応じて、 それは、一つの場所または多数の場所において、 そして小さな場所または大きな場所において存在する。

[二八五四六]第一部第八問題第二項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 全体は、部分との関係において語られる。 ところで、部分には二つの種類がある。 すなわち、形相と質料が「複合されたものの部分」と呼ばれ、 類と種差が「種の部分」と呼ばれる場合のような「本質の部分」と、 そしてまた、何らかの量がそれに分割される「量の部分」である。

量の全体性によって何らかの場所に全体が存在するものは、 その場所の外には存在することができない。 なぜなら、位置を占めているものの量は、 場所の量と同じ尺度で測られ、したがって、 場所の全体性が存在しないならば、 量の全体性も存在しないからである。 それに対して、本質の全体性は、 場所の全体性と同じ尺度では測られない。 したがって、必ずしも、 本質の全体性によって何かの中に全体が存在するものは、 それの外には決して存在してはならない、ということにはならない。

このことは、 付帯的に量を持つ付帯的形相においても明らかである。 たとえば、白さは、 もしもその全体性が本質の全体性と解釈されるならば、 その表面のいかなる部分においても全体として存在する。 なぜなら、白さは、白さという種の完全な概念にしたがって、 表面のいかなる部分においても見出されるからである。 しかし、もしもその全体性が、 白さが付帯的な意味で持っている量として解釈されるならば、 表面のいかなる部分においても全体として存在する というわけではない。

それに対して、非物体的な実体においては、 本質の完全な概念にしたがった完全性を除いては、 それ自体としても、付帯的な意味でも、全体性は存在しない。 したがって、 魂が肉体のいかなる部分においても全体として存在するのと同様に、 神も、 万物においても個々のものにおいても全体として存在する。

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