神学大全第一部第七問題第四項
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第四項

[二八五二〇]第一部第七問題第四項第一異論

第四のものについては次のように進められる。 無限の多さが現実的に存在するということは可能であると思われる。

なぜなら、 可能態にあるものが現実態に引き出されるということは 不可能ではないからである。 ところで、数は、無限に増加させ得るものである。 したがって、 無限の多さが現実態において存在するということは不可能ではない。

[二八五二一]第一部第七問題第四項第二異論

さらに、いかなる種についても、 その種に属する何らかの個体が 現実態において存在することは可能である。 ところで、形には無限の種が存在する。 したがって、無限の形が現実態において存在することが可能である。

[二八五二二]第一部第七問題第四項第三異論

さらに、相互に対立しないものは、 相互に相手を妨げることもない。 ところで、事物のいくらかの多さが存在すると措定すると、 それらとは対立しない多くの他のものがさらに生じることができる。 したがって、 また別の何らかのものが それらと同時に存在するということも不可能ではなく、 このようにして無限に進む。 したがって、 無限の多さが現実態において存在するということは可能である。

[二八五二三]第一部第七問題第四項反対異論

しかし反対に、『知恵の書』第十一章では、 「あなたは万物を重さと数と長さのうちに配置した」 と述べられている。

[二八五二四]第一部第七問題第四項主文

私は答えて言わなければならない。 この問題をめぐっては二通りの見解があった。 一部の人々、たとえばアヴィセンナやアルガゼルは、 それ自体によって現実的に無限である多さが存在するということは 不可能であるが、 しかし付帯的な意味で無限である多さが存在するということは 不可能ではないと述べた。

多さがそれ自体によって無限であると言われるのは、 無限の多さが存在することが、 何かが存在するために必要とされる場合である。 ところが、これは不可能である。 なぜなら、そのような何かが存在するならば、 それは無限のものに依存することにならざるを得ず、したがって、 無限のものを通過することはできないのであるから、 それの生成は決して完了しないであろうからである。

それに対して、 多さが付帯的な意味で無限であると言われるのは、 何かが存在するために多さの無限性が必要とされるわけではないが、 多さの無限性が付帯的に生じる場合である。 このことは、大工の仕事において明らかにされることができる。 彼の仕事のためには、若干の多さがそれ自体によって必要とされる。 すなわち、精神の中の技術、物を動かす手、そして槌である。 もしもこれらが無限に増加するならば、 大工の仕事は決して完了しないであろう。 なぜなら、 それは無限に多くの原因に依存することになるからである。 ところで、 一つの槌が壊れて別の槌を取るということによって生ずる 槌の多さは、 付帯的な意味での多さである。 なぜなら、 多くの槌を使って仕事をするということは 付帯的に生じることであり、仕事をするために、一つの槌を使うか、 二つの槌を使うか、多数の槌を使うか、あるいは、 無限の時間をかけて仕事をする場合のように、 無限に多くの槌を使うか、ということの間には、 いかなる相違もないからである。 彼らは、このような論法によって、 付帯的な意味での無限の多さが現実的に存在するということは 可能である、 と主張したのである。

しかし、これは不可能である。 なぜなら、いかなる多さも、 何らかの多さの種のうちに存在しなければならないからである。 ところで、多さの種は、数の種に対応している。 そして、数のいかなる種も無限ではない。 なぜなら、いかなる数も、一によって測られた多さだからである。 したがって、無限の多さが現実的に存在するということは、 それ自体によってであろうと付帯的な意味であろうと不可能である。

同様に、 事物の世界の中に実在する多さは創造されたものであり、 いかなる被造物も、 創造者の何らかの一定の意図のものに包含されている。 なぜなら、いかなる作用者も、 目的なしに仕事をすることはないからである。 したがって、 すべての被造物が一定の数のもとに包含されているということは 必然である。 したがって、無限の多さが現実態において存在するということは、 それが付帯的な意味であるとしても不可能である。

しかし、 無限の多さが可能態において存在するということは可能である。 なぜなら、多さの増加は、 大きさの分割の結果として生じるからである。 すなわち、ものがより多くのものに分割されればされるほど、 数的により多くのものが結果として生じるのである。 したがって、すでに示されたように、 分割は質料に向かって進むのであるから、 連続体の分割においては無限が可能態において見出され、 同じ理由によって、多さの付加においても、 無限が可能態において見出される。

[二八五二五]第一部第七問題第四項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 可能態にある個々のものは、 それぞれの存在の様態にしたがって現実態に引き出される。 たとえば、一日は、 その全体が同時に現実態に引き出されるのではなく、 継続的に引き出される。 そして同様に、多さの無限も、 その全体が同時に現実態に引き出されるのではなく、 継続的に引き出される。 なぜなら、いかなる多さが取られても、 そののちに別の多さが無限に取られることができるからである。

[二八五二六]第一部第七問題第四項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 形の種は、数の無限性に由来する無限性を持つ。 なぜなら、形の種は、三角形、四角形、等々だからである。 したがって、数えられる無限の多さが、 その全体が同時に存在するような方法では 現実態に引き出されないように、 形の多さも、そのような方法では現実態に引き出されない。

[二八五二七]第一部第七問題第四項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 あるものが措定されているときに 別のものが措定されるということは、 先に措定されたことに対立することではないとしても、 無限のものが措定されるということは、 多さのいかなる種にも対立する。 したがって、 何らかの無限の多さが現実的に存在するということは可能ではない。

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