神学大全第一部第六問題第三項
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第三項

[二八四八〇]第一部第六問題第三項第一異論

第三のものについては次のように進められる。 本質によって善であるということは、 神に固有のことではないと思われる。

なぜなら、一が存在者に置換されるのと同様に、 すでに論じられたように、善もまた存在者に置換されるからである。 ところで、 哲学者によって『形而上学』第四巻の中で示されているように、 いかなる存在者も、それ自身の本質によって一である。 したがって、いかなる存在者も、それ自身の本質によって善である。

[二八四八一]第一部第六問題第三項第二異論

さらに、 もしも善というのが万物が欲求するもののことであるならば、 存在それ自体は万物によって熱望されるものであるから、 いかなる事物の存在それ自体も、その事物の善である。 ところで、いかなる事物も、それ自身の本質によって存在者である。 したがって、いかなる事物も、それ自身の本質によって善である。

[二八四八二]第一部第六問題第三項第三異論

さらに、いかなる事物も、それ自身の善性によって善である。 したがって、 もしもそれ自身の本質によって善であるのではない何らかの事物が存在するならば、 その事物の善性はそれ自身の本質ではない、 ということにならざるを得ないであろう。 したがって、その善性は何らかの存在者であるから、 それは善であるということにならざるを得ない。 そして、 もしもその善性が何らかの別の善性によって善であるならば、 その善性についても同じことが問われるであろう。 したがって、それは、無限に進むか、 もしくは別の善性によって善であるのではない何らかの善性に到達するかのいずれかであろう。 したがって、同じ理由によって、 第一の善性に踏み止まるべきである。 したがって、いかなる事物も、それ自身の本質によって善である。

[二八四八三]第一部第六問題第三項反対異論

しかし反対に、 ボエティウスは『デ・ヘブドマディブス』の中で、 神以外のすべてのものは分有によって善であると述べている。 したがって、それらは本質によって善であるのではない。

[二八四八四]第一部第六問題第三項主文

私は答えて言わなければならない。 神のみが、彼自身の本質によって善である。

なぜなら、個々のものが善と呼ばれるのは、 それが完全である限りにおいてだからである。 ところで、事物の完全性には三通りのものがある。 第一のものは、 その事物の存在の中に構成される限りにおける完全性である。 第二のものは、 その事物の完全な働きのために必要となる何らかの付帯性が、 それに付加されることにもとづく完全性である。 第三のものは、 目的とする何らかの他のものにその事物が到達している、 ということによる完全性である。 たとえば、火においては、第一の完全性は、 火がそれ自身の実体的形相によって持っている存在のうちに成り立ち、 第二の完全性は、熱さ、軽さ、乾燥、等々のうちに成り立ち、 第三の完全性は、 火がそれ自身の場所において安らいでいる限りにおいて成り立つ。

ところで、これらの三通りの完全性は、いかなる被造物にも、 それ自身の本質によって適合するということはなく、神にのみ、 彼自身の本質によって適合する。 本質がそれ自身の存在であるものは神のみであり、 いかなる付帯性も彼には付け加わっておらず、 すでに述べられたことから明らかなように、力がある、知恵がある、 等々のような、 彼以外のものについては付帯的に述べられることがらが、 彼には本質的に適合する。 さらにまた、彼は、他のいかなるものに対しても、 それを目的として秩序づけられてはおらず、 彼自身がすべての事物の究極的な目的である。

したがって、神のみが、 彼自身の本質によってあらゆる種類の完全性を持っている、 ということは明らかである。 したがって、彼のみが、彼自身の本質によって善である。

[二八四八五]第一部第六問題第三項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 一は、完全性という性質を含意せず、 不可分性という性質のみを含意する。 不可分性は、いかなる事物にも、それ自身の本質によって適合する。 ところで、単純なものの本質は、 現実態においても可能態においても不可分であるが、それに対して、 複合されたものの本質は、現実態においてのみ不可分である。 したがって、いかなる事物も、 それ自身の本質によって一でなければならないが、 すでに示されたように、 必ずしもそれ自身の本質によって善であるわけではない。

[二八四八六]第一部第六問題第三項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 個々のものが、存在を持つ限りにおいて善であるとしても、 創造された事物の本質は存在それ自体ではない。 したがって、 創造された事物がそれ自身の本質によって善であるということは、 帰結しない。

[二八四八七]第一部第六問題第三項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 創造された事物の善性は、それの本質それ自体ではなく、 それに付加された何かである。 すなわちそれは、それの存在それ自体であるか、 それに付加された何らかの完全性であるか、 目的へ向かう秩序であるかのいずれかである。 ところで、そのような付加された善性は、 それが存在者であると言われるのと同様の意味で、 善であると言われる。 すなわち、そのような善性が存在者であると言われる理由は、 それが何かであるからであって、 それ自身が他の何かによって存在するからではない。 したがって、それが善であると言われる理由は、 それが善である何かであるからであって、 それ自身が善であるのがそれによってである何らかの他の善性を、 それ自身が持っているからではない。

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