神学大全第一部第五問題第四項
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第四項

[二八四三七]第一部第五問題第四項第一異論

第四のものについては次のように進められる。 善は、目的因という性質を持たず、 むしろそれ以外の原因の性質を持つと思われる。

なぜなら、ディオニュシオスが『神名論』第四章において、 「善は美しいものとして賞賛される」 と述べているとおりだからである。 ところで、美は形相因という性質を含意する。 したがって、善は形相因という性質を持つ。

[二八四三八]第一部第五問題第四項第二異論

さらに、「善は、万物がそれによって自存し、 存在するものである」 というディオニュシオスの言葉から理解されるように、善は、 それ自身の存在を拡散させるものである。 ところで、拡散させるものであることは、 作出因という性質を含意する。 したがって、善は作出因という性質を持つ。

[二八四三九]第一部第五問題第四項第三異論

さらに、 アウグスティヌスは『キリスト教の教え』第一巻の中で、 「我々が存在するのは、神が善であるからである」と述べている。 ところで、我々が存在するのは、作出因としての神によってである。 したがって、善は作出因という性質を含意する。

[二八四四〇]第一部第五問題第四項反対異論

しかし反対に、哲学者は『自然学』第二巻の中で、 「それのために何かが存在するものは、 他のものの目的および善として存在する」と述べている。 したがって、善は目的因という性質を持つ。

[二八四四一]第一部第五問題第四項主文

私は答えて言わなければならない。 善は万物が欲求するものであり、 このようなものは目的という性質を持つのであるから、 善が目的という性質を含意するということは明らかである。

しかし、善という概念は、 作出因という概念と形相因という概念を前提としている。 なぜなら、原因になるという点において最初のものが、 原因から生じた結果においては最後のものとなる、 と我々は認識しているからである。 たとえば、火は、 火という形相を導入するよりも前にまず熱するのであるが、 火における熱は、火の実体的形相の結果として生ずる。

ところで、原因になるという点において見出されるものは、 第一に善と目的であり、それが作出者を動かす。 第二のものは作出者の活動であり、 それは形相に向けて動かすものである。 第三に形相が到来する。 したがって、原因から生じた結果においては、 それとは逆の順序でなければならない。 すなわち、第一のものは形相それ自体であり、 存在者はそれによって存在する。 第二に、形相の中に作出的な力が認められ、 それによって存在者は存在において完全なものとなる(なぜなら、 哲学者が『気象学』第四巻の中で述べているように、個々のものは、 それ自身に似たものを作ることができるときに、 完全なものとなるからである)。 第三に、善という性質が結果として生じ、 それによって存在者において完全性が確立される。

[二八四四二]第一部第五問題第四項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 美と善は、基体においてはまったく同じものである。 なぜなら、それらは同一のものの上に、 すなわち形相の上に基礎を置くからである。 善が美しいものとして賞賛されるのも、これにもとづくものである。 しかし、概念的にはそれらは別のものである。 なぜなら、本来、善は欲求に関連するものだから、 すなわち、万物が欲求するものが善だからである。 したがって、善は目的という性質を持つ。 なぜなら、欲求は、 事物に向かうある種の運動のようなものだからである。 それに対して、美は認識力に関連するものである。 なぜなら、 見ることに喜びを感じるものが 「美しいもの」と呼ばれるからである。 したがって、感覚は、しかるべき比例を持つ事物、 すなわち自身に似た事物を喜ぶのであるから、美は、 しかるべき比例のうちに成り立つ。 なぜなら、感覚は、すべての認識力と同様に、 ある種の理性だからである。 ところで、認識は類似化によって形成され、 類似性は形相に関連するのであるから、本来、 美は形相因という性質に属する。

[二八四四三]第一部第五問題第四項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 善はそれ自身の存在を拡散させるものであると言われるのは、 目的が運動を引き起こすと言われるのと同様の意味である。

[二八四四四]第一部第五問題第四項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 意志を持つ者は誰であろうと、 彼が善なる意志を持つ限りにおいて「善なる者」と呼ばれる。 なぜなら、我々の中にあるすべてのものは、 意志によって使用されるからである。 したがって、「善なる人」と呼ばれるのは、 善なる知性を持つ人ではなく、善なる意志を持つ人である。 ところで、意志は、その固有の対象として目的に関連する。 したがって、「我々が存在するのは、 神が善であるからである」と述べられていることは、 目的因に関連づけられる。

神学大全第一部第五問題第四項
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