神学大全第一部第五問題第三項
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第三項

[二八四二七]第一部第五問題第三項第一異論

第三のものについては次のように進められる。 いかなる存在者も善であるというわけではないと思われる。

なぜなら、すでに述べられたことから明らかなように、 善は存在者の上に何かを付加するものだからである。 ところで、存在者の上に何かを付加するもの、たとえば、実体、量、 質、そしてそれらに類する他のものは、存在者を制限する。 したがって、善は存在者を制限する。 したがって、いかなる存在者も善であるというわけではない。

[二八四二八]第一部第五問題第三項第二異論

さらに、いかなる悪も善ではない。 『イザヤ書』第五章では、「悪を善と呼び、 善を悪と呼ぶあなたたちは災いである」と言われている。 ところで、存在者のうちのあるものは悪と呼ばれる。 したがって、いかなる存在者も善であるというわけではない。

[二八四二九]第一部第五問題第三項第三異論

さらに、善は、欲求され得るという性質を持つ。 ところで、第一質料は、欲求され得るという性質を持たず、 欲求するという性質のみを持つ。 したがって、第一質料は善という性質を持たない。 したがって、いかなる存在者も善であるというわけではない。

[二八四三〇]第一部第五問題第三項第四異論

さらに、哲学者は『形而上学』第三巻において、 数学的なものの中には善は存在しないと述べている。 ところで、数学的なものは何らかの存在者である。 そうでないならば、それらについての学は存在しないはずである。 したがって、いかなる存在者も善であるというわけではない。

[二八四三一]第一部第五問題第三項反対異論

しかし反対に、神ではないいかなる存在者も神の被造物である。 ところで、『テモテへの手紙一』第四章で述べられているように、 神のいかなる被造物も善である。 そして神は最高度に善である。 したがって、いかなる存在者も善である。

[二八四三二]第一部第五問題第三項主文

私は答えて言わなければならない。 いかなる存在者も、それが存在者である限りにおいて善である。 なぜなら、いかなる存在者も、 それが存在者である限りにおいて現実態にあり、そして、 いかなる現実態も何らかの完全性であるから、 いかなる存在者も何らかの特定の様態で完全だからである。 ところで、すでに述べられたことから明らかなように、 完全なものは、欲求され得るという性質、 すなわち善という性質を持っている。 したがって、いかなる存在者も、 それが存在者である限りにおいて善である、 ということが帰結される。

[二八四三三]第一部第五問題第三項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 実体、量、質、およびそれらのもとに含まれるものは、 何らかの何性あるいは本性に存在者を結びつけることによって 存在者を制限する。 ところが、善は、 そのような方法で存在者の上に何かを付加するのではなく、単に、 欲求され得るという性質、 すなわち完全性という性質を存在者に付加するにすぎない。 この性質は、存在者がいかなる本性にあるかにかかわらず、 それ自身の存在に適合する。 したがって、善は存在者を制限しない。

[二八四三四]第一部第五問題第三項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 いかなる存在者も、それが悪と呼ばれるのは、 それが存在者である限りにおいてではなく、 それが何らかの存在を欠いている限りにおいてである。 たとえば、人間が悪と呼ばれるのは、 その者が徳の存在を欠いている限りにおいてであり、 眼が悪いと言われるのは、 それが視力の鋭敏さを欠いている限りにおいてである。

[二八四三五]第一部第五問題第三項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 第一質料は、それが可能態にないならば存在者ではないのであり、 同様に、それが可能態にないならば善ではない。 プラトン学派の人々によれば、第一質料は、 それに関連づけられる欠如の結果として、 非存在者であると言われ得る。 しかし、それにもかかわらず、第一質料も、善にかかわる何か、 すなわち善へ向かう秩序または傾向を分有している。 第一質料が、欲求され得るものに適合せず、 欲求するものに適合するのは、このような理由によるものである。

[二八四三六]第一部第五問題第三項第四異論解答

第四のものについては次のように言わなければならない。 数学的なものは、 存在的に分離されたものとして自存しているのではない。 なぜなら、もしもそれらが自存しているならば、 それらのうちにも善が、 すなわちそれら自身の存在それ自体という善が 存在しているはずだからである。 数学的なものは、運動と質料から抽象化されている限りにおいて、 概念的にのみ分離されているにすぎず、したがって、 動者という性質を持つ目的という概念からも抽象化されている。 しかし、何らかの概念的な存在者において、 善または善の性質が存在しないということは、 不合理なことではない。 なぜなら、すでに述べられたように、 存在者という概念は善という概念よりも先行するからである。

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