神学大全第一部第四問題第三項
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第三項

[二八三九八]第一部第四問題第三項第一異論

第三のものについては次のように進められる。 いかなる被造物も、 神に似ているということはあり得ないと思われる。

なぜなら、『詩編』の中で、「主よ、 あなたに似た者は神々のうちにはいません」と述べられているからである。 ところで、分有によって「神々」と呼ばれるものは、 すべての被造物のうちで、より卓越したものである。 したがって、 他の被造物が神に似ていると言われ得ないのはなおさらである。

[二八三九九]第一部第四問題第三項第二異論

さらに、類似とは一種の比較である。 ところで、類が異なっているものの間に比較は存在せず、 したがって類似も存在しない。 たとえば、我々は、甘さは白さに似ているとは言わない。 ところで、いかなる被造物も神と同じ類には属していない。 なぜなら、すでに示されたように、 神は類のうちにはないからである。 したがって、いかなる被造物も神には似ていない。

[二八四〇〇]第一部第四問題第三項第三異論

さらに、似ていると言われるものは、 形相において一致するものである。 ところで、形相において神と一致するものは何もない。 なぜなら、神のみを除いて、 いかなる事物の本質も存在それ自体ではないからである。 したがって、いかなる被造物も神に似たものではあり得ない。

[二八四〇一]第一部第四問題第三項第四異論

さらに、似ているものの間にある類似性は相互的である。 なぜなら、似ているものは、似ているものに似ているからである。 したがって、もしも何らかの被造物が神に似ているならば、 神もまたその被造物に似ているということになるであろう。 これは、『イザヤ書』第四十章で、 「あなたがたは神を誰に似せたのか」と述べられていることに反している。

[二八四〇二]第一部第四問題第三項反対異論

しかし反対に、『創世記』第一章では、「我々は、 我々の像として、そして似姿として人間を作ろう」と述べられている。 そして、『ヨハネの手紙一』第三章では、「彼が現れるとき、 私たちは彼に似た者となっているでしょう」と述べられている。

[二八四〇三]第一部第四問題第三項主文

私は答えて言わなければならない。 類似性は形相における一致または共通性によって認められるのであるから、 形相において共通する様態が多様であるのに応じて、 多様な類似性が存在する。

すなわち、同一の性質によって、そして同一の程度によって、 同一の形相において共通している何らかのものは、 「似ている」と言われる。 このようなものは、「似ている」と言われるだけではなく、 その類似性において「等しい」とも言われる。 たとえば、等しく白い二つのものは、 白さにおいて「似ている」と言われる。 これは最も完全な類似性である。

別の意味で「似ている」と言われるのは、 同一の性質によって形相において共通しているが、 同一の程度ではなく、 より多いかより少ないかという差異を持つものである。 たとえば、より少なく白いものは、 より多く白いものに「似ている」と言われる。 これは不完全な類似性である。

第三の意味で「似ている」と言われるのは、 同一の形相において共通しているが、 しかし同一の性質によってではないものである。 同義的ではない作用者において、それは明らかである。 なぜなら、すべての作用者は、作用者である限りにおいて、 自分に似たものを生み出すのであるが、 それぞれのものはその形相によって作用するのであるから、 作用者の形相との類似性が 結果の中に存在するということは必然だからである。 したがって、 もしも作用者がその結果と同一の種に含まれるものであるならば、 作るものと作られるものとの間には、その種の同一の性質によって、 形相における類似性が存在するであろう。 たとえば人間が人間を生むというのはその例である。 しかし、作用者が同一の種に含まれるものではないならば、 類似性は、存在するとしても、 種の同一の性質によるものではないであろう。 たとえば、太陽の力によって生み出されるものは、 太陽との何らかの類似性を持つとしても、 種の類似性によってではなく、 類の類似性によって太陽の形相を受容しているのである。

したがって、 もしも類のうちに含まれない何らかの作用者が存在するならば、 それの結果は、 作用者の形相からさらにいっそう遠く隔たった類似性を持つであろう。 しかしそれは、種または類の同一の性質ではなく、 何らかの類比によって、 作用者の形相との類似性を分有するのである。 たとえば、存在それ自体は、あらゆるものに共通である。 そして、神によって存在するものは、 それらが存在者である限りにおいて、このような様態で、 全体的な存在の第一の普遍的な根源としての彼に似ているのである。

[二八四〇四]第一部第四問題第三項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 ディオニュシオスは『神名論』第九章で、 何かが神に似ていないと聖書が述べている場合、「それは、 神との類似に反しているということではない。 なぜなら、 同一のものが神に似ているものであるとともに似ていないものでもあるからである。 似ているものであるというのは、 完全には模倣することができない彼を、 それらは模倣することができる範囲において模倣しているということであり、 似ていないものであるというのは、 それらはその原因には及ばないということである」と述べている。 それらは、 たとえば より少なく白いものがより多く白いものに及ばないというような、 強いか弱いかということにおいて及ばないだけではなく、 種においても類においても彼に一致するものは存在しないという理由でも及ばない。

[二八四〇五]第一部第四問題第三項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 神は被造物に対して、類の異なるものという関係にあるのではなく、 すべての類の外にあり、 すべての類の根源であるものという関係にある。

[二八四〇六]第一部第四問題第三項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 神に対する被造物の類似性が存在すると言われるのは、 類と種の同一の性質によって形相において共通性があるからではなく、 単に類比があるから、すなわち、 神は本質によって存在するものであり、 他のものは分有によって存在するものであるからである。

[二八四〇七]第一部第四問題第三項第四異論解答

第四のものについては次のように言わなければならない。 被造物が神に似ているということは何らかの意味で容認されるとしても、 しかし、神が被造物に似ているということは、 いかなる意味においても容認してはならない。 なぜなら、ディオニュシオスが『神名論』第九章で、 「相互的な類似性は、同一の序列にあるものの間には認められるが、 しかし、原因と、 その原因から生じた結果との間には認められない」と述べているとおりだからである。 たとえば、我々は、像が人間に似ているとは言うが、 その逆は言わない。 同様に、 被造物が神に似ていると何らかの意味で言われることはできるが、 神が被造物に似ていると言われることはできない。

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