神学大全第一部第四問題第一項
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第一項

[二八三八二]第一部第四問題第一項第一異論

第一のものについては次のように進められる。 「完全である」ということは神には適合しないと思われる。

なぜなら、「完全である」というのは、 「十全に作られた」というような意味だからである。 ところが、「作られた」ということは神には適合しない。 したがって、「完全である」ということも彼には適合しない。

[二八三八三]第一部第四問題第一項第二異論

さらに、神は事物の第一の根源である。 ところで、事物の根源は不完全であると思われる。 たとえば、胚は動物と植物の根源である。 したがって、神は不完全である。

[二八三八四]第一部第四問題第一項第三異論

さらに、すでに示されたように、 神の本質は存在それ自体である。 ところで、存在それ自体は最も不完全であると思われる。 なぜなら、それは最も一般的なものであり、 あらゆるものの付加を受容するからである。 したがって、神は不完全である。

[二八三八五]第一部第四問題第一項反対異論

しかし反対に、『マタイによる福音書』第五章では、 「あなたがたの天の父が完全であるように、 あなたがたも完全でありなさい」と述べられている。

[二八三八六]第一部第四問題第一項主文

私は答えて言わなければならない。 哲学者が『形而上学』第十二巻において語っているように、 古代の一部の哲学者たち、 たとえばピタゴラス派の人々やスペウシッポスは、 最善および最完全という性質を第一の根源に帰属させなかった。 その理由は、 古代の哲学者たちは質料的な根源のみについて考察したのであり、 第一の質料的な根源は最も不完全なものだからである。 なぜなら、質料は、質料である限りにおいては可能態にあるので、 質料的な第一の根源は最高度に可能態にあるのでなければならず、 したがって最高度に不完全でなければならないからである。

ところで、神は第一の根源であるとされるが、 それは質料的なものではなく、 作出因という様式におけるものであり、そして、 この意味での第一の根源は最も完全なものでなければならない。 なぜなら、質料が質料である限りにおいて可能態にあるのと同様に、 作用者は作用者である限りにおいて現実態にあるからである。 したがって、 第一の作用的な根源は最高度に現実態にあるのでなければならず、 その結果として最高度に完全でなければならない。 なぜなら、ものは、 それがどれだけ現実態にあるかという程度に応じて、 「完全である」と言われるからである。 すなわち、 その完全性の様態に関して何一つ欠けるところのないものが、 「完全である」と言われるのである。

[二八三八七]第一部第四問題第一項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 「神の崇高なることがらを称えるために我々にできることは、 口ごもりながら語ることのみである。 なぜなら、作られたものではないものについては、 厳密な意味では『完全である』と言うことができないからである」 とグレゴリウスは述べている。 しかし、作られたものにおいては、 可能態から現実態に引き出されるときに 「完全である」と言われるのであるから、 現実態の存在において欠けるところのない すべてのものを表示するために、 それが作成という方法によってその性質を得るか そうでないかを問わず、 「完全」という名辞が転用されるのである。

[二八三八八]第一部第四問題第一項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 我々の周囲において不完全なものとして見出される質料的な根源は、 端的な意味での第一のものではあり得ず、 他の完全なものによって先行されている。 たとえば、胚は、胚から生まれる動物の根源であるとしても、 自身よりも以前に、 そこから自身が分かれ出た動物または植物を持っている。 なぜなら、 現実態にある何らかの存在者によって変化させられるのでなければ、 可能態にある存在者が現実態に変化することはないのであるから、 可能態にあるものよりも以前に、 現実態にある何かが存在しなければならないからである。

[二八三八九]第一部第四問題第一項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 存在それ自体は、 すべての事物に対する現実態であると位置づけられるから、 すべての事物のうちで最も完全なものである。 なぜなら、いかなるものも、それが存在するのでない限り、 現実性を持たないからである。 したがって、 存在それ自体はすべての事物にとってその現実性であり、 形相それ自体にとってさえもその現実性である。 したがって、それは他のものに対して、 受容されるものに対する受容するものという関係ではなく、 受容するものに対する受容されるものという関係にある。 たとえば、人間や馬や他の何かの存在を私が語るとき、 存在それ自体は、形相的なもの、 そして受容されるものと考えられているのであり、 「存在がそれに適合するもの」と考えられているのではない。

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