神学大全第一部第三問題第八項
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第八項

[二八三七二]第一部第三問題第八項第一異論

第八のものについては次のように進められる。 神は他のものとの複合に入ると思われる。

なぜなら、ディオニュシオスが『天上位階論』第四章において、 「万物の存在は、 存在を超えたものである神性である」と述べているからである。 ところで、万物の存在は個々のものとの複合に入る。 したがって、神は他のものとの複合に入る。

[二八三七三]第一部第三問題第八項第二異論

さらに、神は形相である。 なぜなら、 アウグスティヌスが『主の言葉について』という書物の中で、 神の言葉(すなわち神)は、形成されたものではない形相である、 と述べているからである。 ところで、形相は、複合されたものの部分である。 したがって、神は、何らかの複合されたものの部分である。

[二八三七四]第一部第三問題第八項第三異論

さらに、存在するものであり、 いかなる意味においても異なっていないものは、同一のものである。 ところで、神と第一質料は存在し、 それらはいかなる意味においても異なっていない。 したがって、それらは完全に同一のものである。 ところで、第一質料は事物との複合に入る。 したがって、神も同様である。

中間命題の証明は次のとおり。 異なっているものは何であろうと、 何らかの種差によって異なっている。 したがって、それらは複合されたものでなければならない。 ところが、神と第一質料はあらゆる意味において単純である。 したがって、それらはいかなる意味においても異なっていない。

[二八三七五]第一部第三問題第八項第一反対異論

しかし反対に、ディオニュシオスは『神名論』第二章において、 「彼(すなわち神)に接触するものは存在せず、 彼が部分を混合することによる、 他のいかなる種類の結合も存在しない」と述べている。

[二八三七六]第一部第三問題第八項第二反対異論

さらに、『原因論』においても、「第一原因は、 万物と混合されることなしにそれらを支配する」と述べられている。

[二八三七七]第一部第三問題第八項主文

私は答えて言わなければならない。 この問題をめぐっては、三つの謬論があった。 すなわち、 アウグスティヌスが『神の国』第七巻において示しているように、 ある人々は、神は世界霊魂であると主張したのである。 神は第一天の霊魂であると主張した人々の説も、 この説に還元される。 また、他の人々は、神は万物の形相的な根源であると主張した。 これは、アルマリアヌス派の見解であったと言われている。 第三の謬論はディナンのダヴィドの説である。 彼は、きわめて愚かなことに、神は第一質料であると主張した。 これらの説はすべて、明白な虚偽を含んでいる。 いかなる方法であろうと、 神が何らかのものとの複合に入るということは、 形相的な根源としてであっても、質料的な根源としてであっても、 あり得ないことである。

その理由は、まず第一に、我々がすでに述べたように、 神が第一の作出因だからである。 ところで、作出因は、それによって作られた事物の形相と、 数の上で同じになることはなく、種において同じになるのみである。 たとえば、人間は人間を生み出すのである。 それに対して質料は、作出因と、 数の上で同じにならないばかりではなく、 種においても同じにならない。 なぜなら、 質料が可能態にあるのに対して作出因は現実態にあるからである。

第二の理由は、神は第一の作出因であるので、 根源的にかつそれ自体によって作用することが 彼に属しているからである。 ところが、何かとの複合に入るものは、 根源的にかつそれ自体による作用者ではなく、むしろ、 複合されたもののほうが根源的にかつそれ自体による作用者である。 たとえば、 手が作用するのではなく人間が手によって作用するのであり、 火が熱によって熱するのである。 したがって、 神が何らかの複合されたものの部分であるということはあり得ない。

第三の理由は、複合されたもののいかなる部分も、 存在者の中にある 端的な意味での第一のものではあり得ないからである。 複合されたものの第一の部分である質料と形相でさえ、 存在者の中にある端的な意味での第一のものではあり得ない。 なぜなら、質料は可能態にあり、 すでに述べられたことから明らかなように、端的な意味では、 可能態は現実態よりもあとのものだからである。 また、複合されたものの部分である形相は、分有された形相である。 ところで、形相を分有するものが、 本質によって存在するものよりもあとのものであるように、 分有された形相自身も、 本質によって存在するものよりもあとのものである。 たとえば、燃えているものの中にある火は、 本質によって存在する火よりもあとのものである。 ところが、神が端的な意味での第一の存在者であるということは、 すでに示されたとおりである。

[二八三七八]第一部第三問題第八項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 神性が万物の存在であると言われるのは、 それが作出因であり範型であるという意味においてであって、 本質によってそうであるという意味においてではない。

[二八三七九]第一部第三問題第八項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 言葉は範型的な形相であって、 複合されたものの部分である形相ではない。

[二八三八〇]第一部第三問題第八項第三異論解答

第三のものについては次のように言わなければならない。 単純なものは、 何らかの他の種差によって異なったものになるのではない。 なぜなら、それは複合されたものの性質だからである。 たとえば、人間と馬は、 「理性的」と「非理性的」という種差によって異なっているが、 これらの種差は、 さらに別の種差によって相互に異なっているのではない。 したがって、言葉の意味に注意を払うならば、厳密には、 「異なっている」ではなく「別のものである」と言うべきである。 なぜなら、哲学者の『形而上学』第十巻によれば、 「別のものである」ということは 絶対的な意味で言われるのに対して、 「異なっている」ものはすべて、 何らかの点で異なっているのだからである。 したがって、言葉の意味に注意を払うならば、第一質料と神は、 異なっているのではなく、それ自体として別のものである。 したがって、それらが同一のものであるということは帰結されない。

神学大全第一部第三問題第八項
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