神学大全第一部第三問題第七項
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第七項

[二八三六六]第一部第三問題第七項第一異論

第七のものについては次のように進められる。 神があらゆる意味において単純であるということはないと思われる。

なぜなら、 神によって存在するものは彼を模倣しているからである。 したがって、 第一の存在者によって存在するものはすべて存在者であり、 第一の善によって存在するものはすべて善である。 ところで、神によって存在する事物の中に、 あらゆる意味において単純であるものは何もない。 したがって、 神があらゆる意味において単純であるということはない。

[二八三六七]第一部第三問題第七項第二異論

さらに、より善であるすべてのものは、 神に帰属させられなければならない。 ところで、我々の観点のもとでは、 複合されたものは単純なものよりも善である。 たとえば、合成された物体は元素よりも善であり、 元素はその部分よりも善である。 したがって、 神があらゆる意味において単純であると言ってはならない。

[二八三六八]第一部第三問題第七項反対異論

しかし反対に、 アウグスティヌスは『三位一体論』第六巻において、神は、 真に、そして最高度に単純であると述べている。

[二八三六九]第一部第三問題第七項主文

私は答えて言わなければならない。 神があらゆる意味において単純であるということは、 多くの方法で明らかにすることができる。

まず第一に、これまでに述べられたことから、 それは明らかである。 すなわち、神の中には量的な部分の複合が存在しない。 なぜなら、彼は物体ではないからである。 さらに、形相と質料との複合も存在しない。 さらに、彼においては本性と個体とは別のものではなく、 本質と存在も別のものではない。 さらに、彼の中には類と種差との複合が存在せず、 基体と付帯性との複合も存在しない。 したがって、神が、いかなる意味においても複合されておらず、 あらゆる意味において単純である、ということは明らかである。

第二に、複合されたものはすべて、 その構成要素よりもあとのものであり、それらに依存している。 ところが、すでに示されたように、神は第一の存在者である。

第三に、複合されたものはすべて原因を持つ。 なぜなら、それ自体として異なっているものは、 それらを結合する何らかの原因がなければ、 何か一つのものとはならないからである。 ところが、すでに示されたように、神は、 第一の作出因であるから原因を持たない。

第四に、いかなる複合されたものにおいても、 可能態と現実態が存在していなければならない。 なぜなら、部分の一つが他の部分に対して現実態にあるか、 あるいは少なくとも、 すべての部分が全体に対して可能態にあるからである。 しかし、神においてはそのようなことはない。

第五に、複合されたものはすべて、 そのいかなる部分とも適合しない何かである。 このことは、同じではない部分から全体が構成されている場合には、 まったく明らかである。 たとえば、人間のいかなる部分も人間ではなく、 足のいかなる部分も足ではない。 他方、同じ部分から全体が構成されている場合には、 全体について言われることがらが部分についても言われることがある。 たとえば、空気の部分は空気であり、 水の部分は水であると言われる。 しかし、全体について言われることがらが、 いかなる部分にも適合しないこともある。 たとえば、水の全体が二クビトならば、 その部分は二クビトではない。 このように、いかなる複合されたものにおいても、 それ自身ではない何かが存在している。 ところで、形相を持っているものについては、 それ自身ではない何かを持っていると言われ得る(たとえば、 白いものの中には白という概念に属さないものがある)。 しかし、形相そのものの中には、 形相以外のいかなるものも存在しない。 したがって、神は形相そのものであるから、 というよりもむしろ存在そのものであるから、 いかなる意味においても複合されたものではあり得ない。 ヒラリウスが『三位一体論』第七巻において、 「力である神は弱いものを含まず、 光である彼は暗いものとは結びつかない」と述べるとき、 彼はこの論点に触れているのである。

[二八三七〇]第一部第三問題第七項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 神によって存在するものが神を模倣するというのは、 原因から生じた結果が第一原因を模倣するということである。 ところが、原因から生じた結果という概念には、 何らかの意味で複合されたものであるということが含まれている。 なぜなら、のちに示されるであろうように、少なくとも、 それの存在と、 それが何であるかということとが異なっているからである。

[二八三七一]第一部第三問題第七項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 我々の観点のもとでは、 複合されたものは単純なものよりも善である。 なぜなら、被造物が持つ善性の完全性は、 一つの単純なものの中に見出されるのではなく、 多くのものの中に見出されるからである。 ところが、のちに示されるであろうように、神的な善性の完全性は、 一つの単純なものの中に見出される。

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