神学大全第一部第三問題第六項
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第六項

[二八三六〇]第一部第三問題第六項第一異論

第六のものについては次のように進められる。 神の中には何らかの付帯性があると思われる。

なぜなら、『自然学』第一巻において述べられているように、 実体は、いかなるものの付帯性でもないからである。 したがって、 あるものにおいて付帯性であるものが別のものにおいて実体であるということはあり得ない。 たとえば、熱が火の実体的形相ではないということは、 別のものにおいては熱が付帯性であるという根拠によって証明される。 ところで、神には、知恵、力、 そして同様の他のものが帰属させられているが、 それらは我々の中においては付帯性である。 したがって、それらは神の中においても付帯性である。

[二八三六一]第一部第三問題第六項第二異論

さらに、 いかなる類においても第一のものがそれぞれに一つある。 ところで、付帯性には多くの類がある。 したがって、 もしもそれらの類のそれぞれが持つ第一のものが神の中にないのであれば、 神のほかに多くの第一のものが存在することになるが、 それは不合理である。

[二八三六二]第一部第三問題第六項反対異論

しかし反対に、すべての付帯性は基体の中にある。 ところが、神は基体ではあり得ない。 なぜなら、 「単純形相は基体ではあり得ない」とボエティウスが『三位一体論』の中で述べているとおりだからである。 したがって、神の中に付帯性は存在することができない。

[二八三六三]第一部第三問題第六項主文

私は答えて言わなければならない。 神の中に付帯性が存在することができないということは、 これまでに述べられたことから明らかである。

その理由は、まず第一に、基体は付帯性に対して、 可能態が現実態に対する関係と同様の関係にあるということである。 なぜなら、ある意味で、 基体は付帯性によって現実態となるからである。 ところが、すでに述べられたことから明らかなように、神からは、 可能態にあるということが完全に排除されている。

第二の理由は、神は彼自身の存在であるということであり、 そして、ボエティウスが『デ・ヘブドマディブス』において、 「存在するものは、 それとは別の何らかの付加されたものを持つことができる。 しかし、 存在それ自体は、 それとは別のいかなる付加されたものも持つことができない」 と述べているとおりであるということである。 たとえば、熱くなっているものは、熱以外の何か、 たとえば白さを持つことができるが、熱それ自体は、 熱以外にはいかなるものも持たない。

第三の理由は、 それ自体によって存在するすべてのものは付帯性として存在するものに先行するということである。 したがって、神は端的な意味で第一の存在者であるから、 いかなるものも、彼の中に付帯性として存在することはできない。 さらに、たとえば人間の場合には、笑い得るというような、 それ自体による付帯性があるが、彼の中には、 それ自体による付帯性も存在することができない。 なぜなら、 そのような付帯性は基体の原理から生じた結果だからである。 ところが、原因から生じたいかなる結果も、 神の中に存在することはできない。 なぜなら、彼は第一原因だからである。 したがって、神の中には、 いかなる付帯性も存在しないということにならざるを得ない。

[二八三六四]第一部第三問題第六項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 力や知恵は、のちに明らかにされるであろうように、 神についてと我々についてとで同義的に語られるわけではない。 したがって、 我々の中に付帯性があるように神の中にも付帯性があるということは帰結されない。

[二八三六五]第一部第三問題第六項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 実体は付帯性に先行するものであるから、付帯性の根源は、 それに先行するものとしての実体の根源に還元される。 神は、実体の類に含まれる第一のものではないが、 すべての類の外にある、 全体的な「存在」にとっての第一のものである。

神学大全第一部第三問題第六項
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