神学大全第一部第三問題第五項
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第五項

[二八三五四]第一部第三問題第五項第一異論

第五のものについては次のように進められる。 神は何らかの類のうちにあると思われる。

なぜなら、実体というのは、 それ自体によって存立する存在者のことだからである。 ところで、このことは最高度に神に適合する。 したがって、神は、実体という類のうちにある。

[二八三五五]第一部第三問題第五項第二異論

さらに、個々のものは、 それ自身の類に属するものによって測られる。 たとえば、長さは長さによって測られ、数は数によって測られる。 ところで、『形而上学』第十巻について注解者が示しているように、 神はあらゆる実体の尺度である。 したがって、神は、実体という類のうちにある。

[二八三五六]第一部第三問題第五項反対異論

しかし反対に、理解の順序として、類は、 類のうちに含まれるものに先行する。 ところで、現実の順序としても理解の順序としても、 神に先行するものは何もない。 したがって、神は、いかなる類のうちにもない。

[二八三五七]第一部第三問題第五項主文

私は答えて言わなければならない。 何かが類のうちにあるということには二通りの意味がある。 一つは、端的でかつ本来の意味、 すなわち類のもとに含まれる種であるという意味である。 もう一つは、還元によって類のうちにあるという意味であり、 根源と欠如が類のうちにあると言われるのは、 この意味においてである。 たとえば、点と一は、量の根源として量という類に還元される。 また、盲目などのすべての欠如は、 それに対応するものの所有態という類に還元される。 ところが、神は、どちらの意味でも類のうちにはない。 なぜなら、彼がいかなる類に属する種でもないということは、 三通りの方法で示されることができるからである。

第一に、種は、類と種差から構成されている。 ところで、種を構成する種差がそれから引き出されるものは、 類がそれから引き出されるものに対して、常に、 現実態が可能態に対する関係にある。 たとえば、「動物」は、 具体化という方法によって感覚的な本性から引き出される。 なぜなら、 感覚的な本性を持つものが「動物」と呼ばれるからである。 他方、「理性的」は、知性的な本性から引き出される。 なぜなら、 知性的な本性を持つものが「理性的」なものだからである。 ところで、知性的なものは感覚的なものに対して、 現実態が可能態に対する関係にある。 そしてそれが他の場合においても同様であることは明らかである。 したがって、 神においては可能態が現実態に結合されないのであるから、 彼が類のうちにある種であるというようなことはあり得ない。

第二に、すでに示されたように、 神の存在が彼の本質であるから、 もしも神が何らかの類のうちにあるのならば、 彼の類は「存在者」でなければならないであろう。 なぜなら、類は、事物の本質を表示するもの、 すなわち「それは何であるか」ということに関して 述語となるものだからである。 ところが、『形而上学』第三巻において哲学者は、 「存在者」はいかなるものの類でもあり得ない ということを示している。 なぜなら、いかなる類も、 その類の本質の外に存在する種差を持つからである。 ところが、「存在者」の外には、 いかなる種差も見出されることができない。 なぜなら、「非存在者」は種差ではあり得ないからである。 したがって、神は類のうちにはないということにならざるを得ない。

第三に、一つの類のうちにあるすべてのものは、 「それは何であるか」ということに関してそれについて述語となる、 何性すなわち類の本質において共通している。 しかし、それらのものは、存在に関しては異なっている。 たとえば、人間の存在と馬の存在とは同じではなく、 この人間の存在とあの人間の存在も同じではない。 したがって、類のうちにあるそれぞれのものは、その存在と、 「それは何であるか」ということ、 すなわち本質とが異なっていなければならない。 ところが、すでに示されたように、 神においてはそれらが異なっていない。 したがって、 種が類のうちにあるように神が類のうちにあるわけではない、 ということは明らかである。

このことから、彼が類も種差も持たず、彼の定義も存在せず、 結果によるものを除いて彼の論証も存在しない、 ということは明らかである。 なぜなら、定義は類と種差から構成されるものであり、 論証の媒介となるものが定義だからである。

さらに、 神が還元によって根源として類のうちにあるのでもない ということは、 次のことから明らかである。 それは、 何らかの類に還元される根源は、 その類を超えて自身を拡張することがないということである。 たとえば、点は連続的な量の根源であることに留まり、 一は離散的な量の根源であることに留まる。 ところが、のちに示されるであろうように、 神は全体的な「存在」の根源である。 したがって、彼が何らかの類のうちに、 その類の根源として含まれるということもない。

[二八三五八]第一部第三問題第五項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 「実体」という名称は、 それ自体による存在というもののみを表示しているのではない。 なぜなら、すでに示されたように、存在であるものは、 それ自体によって類であることができないからである。 「実体」という名称は、そのような形での存在、 すなわちそれ自体による存在がそれに適合する本質を 表示しているのであって、 存在がそれ自体の本質であるというわけではない。 したがって、 神が実体という類のうちにないということは明らかである。

[二八三五九]第一部第三問題第五項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 この異論は、比例による尺度を前提としている。 確かに、そのような尺度は、 測られるものと同類でなければならない。 ところが、神は、いかなるものに対しても比例による尺度ではない。 それにもかかわらず、 彼が万物の尺度であると言われるのは、個々のものが、 それが彼に近づいている程度に応じた存在を持つからである。

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