神学大全第一部第三問題第四項
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第四項

[二八三四八]第一部第三問題第四項第一異論

第四のものについては次のように進められる。 神において、本質と存在とは同じではないと思われる。

なぜなら、もしもそれらが同じであるならば、 神的な存在に対しては 付加されるものが何もないということになるからである。 ところで、それに対していかなる付加もなされない存在は、 すべてのものの述語となる一般的な存在である。 したがって、神は、 すべてのものの述語となり得る一般的な存在者であるということが帰結される。 しかし、『知恵の書』第十四章で、 「彼らは一般的ではあり得ない名前を木と石に与えた」 と述べられているように、 それは偽である。 したがって、神の存在は彼の本質ではない。

[二八三四九]第一部第三問題第四項第二異論

さらに、すでに述べられたように、神については、 彼が存在するかどうかを我々は知ることができる。 しかし、彼が何であるかを我々は知ることができない。 したがって、神の存在と、彼が何であるかということ、 すなわち何性あるいは本性とは、同じではない。

[二八三五〇]第一部第三問題第四項反対異論

しかし反対に、ヒラリウスは、『三位一体論』第七巻において、 「神においては、 存在は付帯性ではなく自存する真理である」と述べている。 したがって、神において自存しているものは、彼の存在である。

[二八三五一]第一部第三問題第四項主文

私は答えて言わなければならない。 すでに示されたように神は彼自身の本質であるが、 それだけではなく、彼は彼自身の存在でもある。 このことは、多くの方法によって示されることができる。

まず第一に、 何かのうちにあってその本質とは別であるものは、何であろうと、 本質的な原理を原因とするものであるか、 それとも何らかの外部のものを原因とするものであるかのいずれかでなければならない。 前者はたとえば、「笑い得る」という性質が、 人間という種の本質的な原理を原因として人間に生ずるような、 種からの結果として生ずる固有の付帯性がそれであり、 後者はたとえば、火を原因として生ずる水の中の熱がそれである。 したがって、事物の存在がその本質とは別のものである場合には、 その事物の存在は、何らかの外部のものを原因として生じたか、 それともその事物の本質的な原理を原因として生じたかのいずれかであるということは必然である。 ところが、 事物の本質的な原理のみを原因として存在が生ずるということはあり得ない。 なぜなら、いかなる事物も、原因から生じた存在をそれが持つ場合、 自分自身は存在の原因として十分ではないからである。 したがって、その存在がその本質とは別のものであるものは、 他のものを原因として生じた存在を持たなければならない。 ところが、このようなことを神について言うことはできない。 なぜなら、神は第一の作出因であると我々は述べているからである。 したがって、神においては、 彼の存在と本質とが別のものであるということはあり得ない。

第二に、存在は、すべての形相または本性の現実性である。 たとえば、善性や人間性は、それが存在すると我々が示さない限り、 現実態にあるとは示されない。 したがって、存在それ自体と、 それとは別のものである本質との関係は、 現実態と可能態との関係に等しいとみなされなければならない。 したがって、すでに示されたように、 神においては可能態的なものが何も存在しないのであるから、 彼においては、 本質は彼の存在とは別のものではないということが導かれる。 したがって、彼の本質は彼の存在である。

第三に、火を所有してはいるものの火ではないものは、 分有によって燃えている状態にあるものである。 それと同様に、存在を所有してはいるものの存在ではないものは、 分有による存在者である。 ところで、すでに示されたように、神は彼自身の本質である。 したがって、もしも彼が彼自身の存在ではないとするならば、 彼は分有による存在者であり、 本質による存在者ではないということになるであろう。 したがって、 彼は第一の存在者ではないということになるであろうが、 そのように語ることは不合理である。 したがって、神は彼自身の存在であり、 単に彼自身の本質であるのみではない。

[二八三五二]第一部第三問題第四項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 「それに対して付加がなされないもの」は、 二通りの意味で理解することができる。 一つは、 それに対して付加がなされないということが それの概念の中に含まれている場合である。 たとえば、非理性的な動物という概念の中には、 理性がないということが含まれている。 もう一つは、 それに対して付加がなされるということが それの概念の中に含まれていないからという理由で、 「それに対して付加がなされないもの」 であると理解される場合である。 たとえば、一般的な動物が理性を持たないのは、 理性を持つということが 一般的な動物という概念の中に含まれていないからであり、 理性を欠いているということが それの概念の中に含まれているからではない。 したがって、神的な存在は第一の意味で付加のない存在であり、 一般的な存在は第二の意味で付加のない存在である。

[二八三五三]第一部第三問題第四項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 存在は二通りの意味で語られる。 一つには、それは、「存在すること」という現実態を意味する。 二つ目に、それは、 述語を主語に結合することによって精神が形成する、 命題の複合を意味する。 存在を第一の意味で理解するならば、 我々は神の存在を知ることができず、それは、 我々が彼の本質を知ることができないことと同様である。 我々が神の存在を知ることができるのは、 第二の意味においてのみである。 すなわち、 「神は存在する」と我々が言うときに 神について我々が形成する命題が真であるということを、 我々は知っている。 そして、すでに述べられたように、 我々は彼の結果からこれを知るのである。

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