神学大全第一部第一問題第七項
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第七項

[二八二七〇]第一部第一問題第七項第一異論

第七のものについては次のように進められる。 この学の主題は神ではないと思われる。

なぜなら、 『分析論後書』第一巻において哲学者が述べているように、 いかなる学においても、 その主題が何であるかということが 前提となっていなければならないからである。 しかし、この学は、神について、 それが何であるかということを前提としない。 なぜなら、「神については、 それが何であるかを語ることは不可能である」 とダマスケヌスが語っているとおりだからである。 したがって、この学の主題は神ではない。

[二八二七一]第一部第一問題第七項第二異論

さらに、ある学において扱われるすべてのことがらは、 その学の主題のもとに包含される。 ところが、聖書においては、 たとえば被造物についてや人間の道徳についてなど、 神のほかにも多くのことがらが扱われている。 したがって、この学の主題は神ではない。

[二八二七二]第一部第一問題第七項反対異論

しかし反対に、学の主題というのは、 その学においてそれについて論議されることがらのことである。 ところで、この学においては、神について論議がなされる。 なぜなら、この学は、 神についての論議という意味でテオロギアと呼ばれるからである。 したがって、この学の主題は神である。

[二八二七三]第一部第一問題第七項主文

私は答えて言わなければならない。 この学の主題は神である。

そもそも、学に対する主題の関係は、 能力または能力状態に対する対象の関係と同じである。 ところで、何らかの能力または能力状態において、 それに固有の対象とみなされるものは、 それのもとにすべてのものがその能力または能力状態に関係づけられるところの観点である。 たとえば、人間と石が視覚に関係づけられるのは、 それらが色を持つものだからである。 したがって、視覚に固有の対象は、色を持つものである。 ところで、聖なる教えにおいては、 すべてのものが神の観点のもとに扱われる。 なぜなら、それらは、神自身であるか、 あるいは根源と目的としての神に対する秩序を持つものであるかのいずれかだからである。 したがって、真実として、 この学の主題は神であるという結論が得られる。

このことは、この学の原理からも明らかである。 すなわち、この学の原理は信仰箇条であるが、 それは神についてのことがらである。 そして原理の主題と学の全体の主題とは同じものである。 なぜなら、 原理の中には学の全体が潜在的に含まれているからである。

ところが、ある人々は、 この学において扱われることがらに注目して、 それらのことがらがそれにもとづいて考察されるところの観点には注目しないで、 この学の主題として別のものを規定した。 すなわち、事物と象徴、あるいは恢復の業、 あるいは頭と肢体としてのキリストの全体を、 この学の主題とみなした。 確かに、この学においてはそれらのすべてのことがらが扱われる。 しかし、それらは、神に対する秩序のもとに扱われるのである。

[二八二七四]第一部第一問題第七項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 我々は、神について、それが何であるかを知ることはできない。 しかし、我々は、この教えにおいては、 定義の代わりに自然または恩寵という神の結果を、 この教えにおいて神について考察されることがらに向けて使用する。 このことは、いくつかの哲学的な諸学において、 原因の定義の代わりに結果を取り上げることによって、 結果を通じて原因についての何かが証明される、 ということに似ている。

[二八二七五]第一部第一問題第七項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 聖なる教えにおいて扱われる神以外のすべてのことがらは、 神のもとに包含される。 ただしそれらは、神の部分、種、あるいは付帯性としてではなく、 何らかの方法で神に向けて秩序づけられているものとして包含されるのである。

神学大全第一部第一問題第七項
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