神学大全第一部第一問題第五項
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第五項

[二八二五六]第一部第一問題第五項第一異論

第五のものについては次のように進められる。 聖なる教えは 他の諸学よりも優位に立つものではないと思われる。

なぜなら、 学の優位性には確実性というものが関係しているからである。 ところで、その原理について疑うことのできない他の諸学は、 その原理すなわち信仰箇条について 疑う余地のある聖なる教えよりも確実であると思われる。 したがって、 他の諸学は聖なる教えよりも優位に立つと思われる。

[二八二五七]第一部第一問題第五項第二異論

さらに、 下位の学というのは上位の学から何かを受け取るもののことである。 たとえば、音楽の学者は算術の学者から何かを受け取るのである。 ところで、聖なる教えは哲学的諸学問から何かを受け取っている。 たとえば、 ヒエロニムスはローマ市の偉大な演説家に宛てた書簡の中で 次のように述べている。 「昔の学者たちは、 哲学者たちの教えや見解を彼らの著書に散在させていますので、 彼らの著書において先に感嘆しなければならないのは 世俗の教養なのかそれとも聖書の知識なのかと あなたは困惑するでしょう」と。 したがって、聖なる教えは他の諸学よりも下位にある。

[二八二五八]第一部第一問題第五項反対異論

しかし反対に、他の諸学はこの教えの下女であると言われる。 『箴言』第九章では、「彼は、 自らの下女たちを高い所へ遣わして呼びかけさせた」 と述べられている。

[二八二五九]第一部第一問題第五項主文

私は答えて言わなければならない。 この学は、ある意味では思弁的であり、 ある意味では実践的であるが、 思弁的なものも実践的なものも含めて、 他のすべての学を超越している。

そもそも、思弁的な諸学のうちで、 その一つが他のものよりも優位に立っていると言われるのは、 確実性によってであるか 題材の優位性によってであるかのいずれかである。 ところで、そのいずれの意味においても、 この学は他の思弁的な諸学を凌駕している。 確実性について言えば、他の諸学は、 間違う可能性のある人間の理性の自然な光から 確実性を受け取るのであるが、 それに対して、この学は、 欺かれることのあり得ない神的な知識の光から 確実性を受け取るのである。 また題材の優位性について言えば、この学は、 その高さにおいて理性を超越したことがらを 主として扱うのであるが、 それに対して、他の諸学は単に、 理性に従属することがらについて考察するにすぎない。

また、実践的な諸学の中では、 より究極的な目的に秩序づけられている学は、より優位に立つ。 たとえば国家の学は軍事の学よりも優位に立つ。 なぜなら、 軍隊にとっての善は 国家にとっての善に秩序づけられているからである。 ところで、 実践的な学である限りにおけるこの教えの目的は永遠の至福であり、 それはすなわち、 実践的な諸学における他のすべての目的が 究極的な目的としてそれに秩序づけられている目的である。

したがって、いかなる観点のもとでも、 この教えが他の諸学よりも優位に立つことは明らかである。

[二八二六〇]第一部第一問題第五項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 その本性によって確実であることがらが、 我々の知性の無力さのために、 我々にとってそれほど確実なものではなくなる、 という事態を妨げるものは何もない。 我々の知性は、本性の上で最も明らかであるものに対しては、 あたかもフクロウの目が太陽の光に対するがごとくである、 と『形而上学』第二巻において言われているとおりである。 したがって、信仰箇条をめぐって一部の人々の間に生ずる疑いは、 ことがらの不確実さによるものではなく 人間の知性の無力さによるものである。 しかし、 最も高いことがらについて持つことのできる 最も少ない認識といえども、 最もつまらないことがらについて持っている 最も確実な認識よりは望ましいということは、 『動物論』第十一巻において言われているとおりである。

[二八二六一]第一部第一問題第五項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 この学が哲学的諸学問から何かを受け取るというのは、 あり得ることである。 しかしそれは、それらの学を不可避的に必要とするからではなく、 この学において伝えられることがらを さらに明瞭なものにするためである。 実際には、この学は、 自らの原理を他の諸学から受け取るのではなく、 啓示によって神から直接に受け取る。 したがって、この学は、 他の諸学を上位のものとしてそこから受け取るのではなく、 下位のもの、すなわち下女としてそれらの学を利用する。 それは、国家の学が軍事の学を利用するのと同様に、 棟梁的な学が下僕的な学を利用するということである。 そして、このように他の諸学を利用することは、 この学の欠陥あるいは不十分さによるものではなく、 我々の知性の欠陥によるものである。 我々の知性は、 自然理性(他の諸学はそこから出発する)によって 知られることがらによって、 この学において伝えられる、理性を超えたことがらへ、 より容易に導かれるのである。

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