神学大全第一部第一問題・ 第三項
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第三項

[二八二四五]第一部第一問題第三項第一異論

第三のものについては次のように進められる。 聖なる教えは一つの学ではないと思われる。

なぜなら、哲学者は『分析論後書』第一巻において、 「一つの学とは、一つの種類の主題を扱うもののことである」 と述べているからである。 ところが、聖なる教えにおいて扱われる創造者と被造物は、 一つの種類の主題のもとには包含されない。 したがって、聖なる教えは一つの学ではない。

[二八二四六]第一部第一問題第三項第二異論

さらに、聖なる教えにおいては、天使についても、 物体的被造物についても、人間の道徳についても扱われる。 ところで、これらのものはそれぞれ異なる哲学的な諸学に所属する。 したがって、聖なる教えは一つの学ではない。

[二八二四七]第一部第一問題第三項反対異論

しかし反対に、聖書は、 それが一つの学であるかのように語っている。 たとえば、『知恵の書』第十章において、 「聖なるものの一つの学を彼に与えた」と言われている。

[二八二四八]第一部第一問題第三項主文

私は答えて言わなければならない。 聖なる教えは一つの学である。 能力と能力状態の単一性は、 対象にしたがって考察されなければならない。 しかも、対象の、 質料的ではなく形相的な性格にしたがって 考察するのでなければならない。 たとえば、人間と驢馬と石は、 視覚の対象である色を持つものという 一つの形相的な性格において一致するのである。 ところで、すでに述べられたように、 聖書がことがらを考察するのは、 それが神から啓示されたものである限りにおいてであるから、 神から啓示されたものであれば何であろうと、そのすべてが、 この学の対象として一つの形相的な性格において共通である。 したがって、 それらは一つの学としての聖なる教えのもとに包含される。

[二八二四九]第一部第一問題第三項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 聖なる教えは、神と被造物とを同列に取り扱うのではない。 主要な対象は神であって、被造物が対象となるのは、 始源あるいは目的としての神に それらが関係づけられる限りにおいてである。 したがって、学の単一性が損われることはない。

[二八二五〇]第一部第一問題第三項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 上位にある一つの能力または能力状態のもとで 共通して支配を受けているいくつかの主題をめぐって、 下位にあるいくつかの能力または能力状態が それぞれに異なっていることには、 いかなる妨げもない。 なぜなら、上位にある能力または能力状態というのは、 より普遍的な形相的観点のもとに対象と関わるからである。 たとえば、共通感覚の対象は感じることのできるものであり、 それは、 見ることのできるものと聞くことのできるものを その中に包含している。 したがって、共通感覚は、 一つの能力でありながら五感のすべての対象に広がるのである。 それと同様に、聖なる教えも、一つの学でありながら、 哲学的な各種の諸学において扱われることがらを、 それらが神から啓示されることのできるものであるという 一つの観点のもとで考察することができる。 したがって、聖なる教えは、 万物にわたって一つであり単純である、 神の知の印影のようなものである。

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