神学大全第一部第一問題・ 第二項
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第二項

[二八二三九]第一部第一問題第二項第一異論

第二のものについては次のように進められる。 聖なる教えは学ではないと思われる。

なぜなら、すべての学は自明の原理から出発するからである。 しかし、聖なる教えは信仰箇条から出発する。 信仰箇条は、すべての人々から承認されているわけではなく、 したがって自明ではない。 このことは、『テサロニケの信徒への手紙二』第三章で、 「なぜなら、 すべての人々が信仰を持っているわけではないのですから」 と言われているとおりである。 したがって、聖なる教えは学ではない。

[二八二四〇]第一部第一問題第二項第二異論

さらに、学は個別のものを扱わない。 しかし、聖なる教えは、個別のもの、たとえばアブラハム、イサク、 ヤコブの事蹟や、それらと同様のことがらを取り扱う。 したがって、聖なる教えは学ではない。

[二八二四一]第一部第一問題第二項反対異論

しかし反対に、 アウグスティヌスは『三位一体論』第十四巻において、 「最も有益な信仰が、それによって生まれ、育てられ、守られ、 強められることがらのみが、この学に属している」と述べている。 ところで、これが該当する学としては、 聖なる教えを除いてはいかなる学も存在しない。 したがって、聖なる教えは学である。

[二八二四二]第一部第一問題第二項主文

私は答えて言わなければならない。 聖なる教えは学である。 ところで、 学には二つの種類があることを理解していなければならない。 知性の自然な光によって明らかにされた原理から出発するもの、 たとえば算術や幾何学やその種のものがある。 それに対して、 上位の学の光によって明らかにされた原理から出発するもの、 たとえば幾何学によって明らかにされた原理から出発する光学や、 算術によって明らかにされた原理から出発する 音楽のようなものがある。 そして聖なる教えは後者の方法で学なのである。 それは、上位の学、 すなわち神と至福の者たちの知の光によって明らかにされた 原理から出発する。 したがって、 音楽が算術から自身に教示された原理を信じるのと同様に、 聖なる教えは神から自身に啓示された原理を信じるのである。

[二八二四三]第一部第一問題第二項第一異論解答

したがって、 第一のものについては次のように言わなければならない。 学の原理は、自明であるか、 または上位の学によって知られたことがらから導き出されるかの いずれかである。 そして聖なる教えの原理は、前述のように、後者なのである。

[二八二四四]第一部第一問題第二項第二異論解答

第二のものについては次のように言わなければならない。 聖なる教えにおいては個別のことがらが伝えられるが、 それらは主要なものとして扱われるのではなく、 それらが導入されるのは、あるときは、 道徳に関する諸学においてそうであるように、 生き方の範例とするためであり、またあるときは、 聖書または教えがその上に基礎づけられる神の啓示が、 彼らを通じて我々に到達したところの人々の権威を 明らかにするためである。

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